ぶあついセーターの上から背中を掻くような感触
★★★☆☆
皇室ライターというわけではない著者による、皇太子夫妻の現状を憂えた分析である。
これが書かれた直接のきっかけはやはり、人格否定発言によるもので、著者が皇太子と同年代という共通点もあるそうだ。
全体の印象としては、まあ、ぶあついセーターの上から背中を掻いているような…「言えない」という強いプレッシャーが感じられる。
しかし、いくらか新しいものも提示されており、「雅子妃の不例は根本的に皇太子自身が抱えていた問題が原因」というのがそれだと思う。これは、女性週刊誌などの「手のかかる子供もいるのに病気の妻をかかえ、孤軍奮闘する健気な夫」という皇太子観とは甚だ異なるものである。
著者は「皇太子自身が背負っていたもともとの問題」について、「民間出身の母に恥をかかせまいとする健気な長男」「腹心となる人間がいないという孤独」などで説明しているが、どうも奥歯にモノがはさまった感じは否めない。
また、これが書かれた段階では仕方がなかったかもしれないが、「美智子皇后と雅子妃」そして「今上天皇と皇太子」を比較することで「いま皇室で、誰にどのような変化が起きているのか」を語るのなら、紀子妃をはずしてはならなかった。素人目に見ても、紀子妃は完璧に皇室の人間に成りえている。
著者は美智子皇后と雅子妃をそれぞれの実家の成り立ちから説明し、家風がこうだから、たぶん本人もこういう性質なんだろう、というふうに説く。
しかも、「父方の家風を受け入れたのか、それとも母方だろうか」などと念のいった分析まで。それは確かに人の一面である。
が、現代に生きる人とはもっと複雑に成り立っているのではないか。
「家風」で特定の人物の人と成りを説明しようとするのは、現代の人物に対する方法としては古いと思うし、それをするなら雅子妃の外交官時代を分析するほうが実があると思う。一般に、女性は働くことで多くを学び、変わるものだから。
やんごとなき人々の心のかたちをごく普通の人間のように腑分けする
★★★★☆
思いのほか、面白かった。
本書所収の5本の論考は、04年5月の皇太子による「雅子妃の人格否定の動き」発言に端を発した騒動を通じ、皇室が直面している困難を描き出す。
本書には、出来事の進展に並行して考えが深められた趣がある。というのも、上記発言直後の執筆らしい第1章は問題を皇后と皇太子の関係から捉え、一応完結している。そして、まだ掘り下げが浅い印象を受ける。
ところが同年末に天皇から皇太子への苦言が公表され、これを受け著者は「父-子」の観点から問題を捉え直す(2章)。その後、秋篠宮・紀宮の発言等も報道される中、さらに皇后と皇太子妃の結婚のあり方を対比させる視点から論じ直す(第3・5章)。最後に本書を編むに当たり、著者は皇后・皇太子妃の対比を核心と見定めて第4章「正田家と小和田家」を書き下ろし、書名にもその結論を反映させたということではないか。
著者の言葉遣いはあくまでも皇族方に対する敬意を失わないが、「やんごとない」人々を生育環境や世相から分析していく視線は、むしろ無遠慮と言うべき。皇后の教育方針をダンチ族や核家族化、育児書から論じ、天皇を疎開世代と特徴づけ、皇太子妃を男女雇用機会均等法と関連付ける。さらに皇太子妃が父方から継承した「刻苦勉励」の美徳に、「至尊になる方にふさわしいものなのだろうか」と疑義を投げかけたりもする(p116)。
本書には関連する会見記録等を再録した、字数にして全体の1/3以上もの「巻末資料」が収められている。本文読了後には、不思議にこれもキッチリ読みたくなる。
平成時代における父と子とは
★★★★★
この本は、いわゆる皇室ジャーナリストが美智子皇后礼讃をテーマに書いた本とは一線を画しており、タイトル通り美智子皇后と雅子妃に触れてはいるが、今上天皇と皇太子の間柄について詳しく言及している点が新鮮だ。今まで数多く出版されている皇室本のなかに、天皇陛下と皇太子という父子を扱ったものはあまりなかったように思う。
著者の視点は中立でありながら、皇太子徳仁殿下にはっきりと共感しており、今上陛下との育ちや立場の違い、1960年生まれであることの世代的特質などを上げていて、日本の世相を考える上でも興味深い。
また、美智子皇后の育った正田家の家風と雅子様の小和田家のそれとを比較したことも新しい視点だった。どちらも民間出身、カトリック系女子校を出たエリートというくくりでまとめられることが多いが、正田家は実業家ファミリーでモットーは「禁欲と教養」、対して小和田家は勤勉が奨励される元士族の家系であることが上げられている。美しい日本の美徳を体現したお二方だが、皇室という入れ物に入ったときどう化成するのか。そういう視点で比較した皇室論は珍しいと思った。
最後に、皇太子夫妻が自己実現を望んでもがく姿と、それとは違ったスタンスで自らの存在意義を表す平成天皇夫妻の違いが印象に残った。「毎日通勤する場所のある人がうらやましい」と言った働き盛りの皇太子と、雅子妃の苦悩。比較世代論として本書はとても面白い。一気に読んでしまった。
2008年2月 追記:
「療養中の雅子さま」、相変わらずのお姿には、いくら皇太子殿下が求められてもいい加減国民の温かい目もぬるくなっている気がする。本書では学業勉励主義の小和田家と書かれているが、どこがと云いたい。現実に報道されるのは、東宮家という特権階級をかざして享楽するお姿ばかり。ご高齢の両陛下や、東宮家のフォローに飛び回っておられる秋篠宮両殿下がおいたわしい限りである。
国家の安寧を願い続けてくださる両陛下と、そのお姿に心から沿おうとなさる秋篠宮家のお姿こそ、もっとメディアで取り上げて、まだかの人の‘ご優秀伝説’から目の覚めない人たちにも知らしめて欲しいと思う。
雅子妃の回復はあるのか?
★★★☆☆
1960年代半ば、私は両親と行った「ボリショイサーカス」のテントで一人の少年を見た。彼一人、白いクロスを掛けた円卓に座りサーカスの団員達から次々とプレゼントを手渡されていた。彼は現皇太子であった。あの時は「なんで、あの子だけ特別扱いなの?」と云う疑問しか持たなかったが、今から思うとぞっとするほど孤独な少年の姿で。行儀良く、たった一人円卓に座り「公務」を勤めていた。その彼が「一生お守りする」契約で結婚した伴侶は、勤勉な家庭(父の兄弟は全員東大)で勉学に勤しむことを善として育った。二人とも自分の前に敷かれた道に抵抗することも反抗することも無く、且つ親を常に満足させて成長した。雅子妃は受験戦争の‘超勝ち組‘「男女雇用機会均等法」のパイオニア。女性は進学・就職までは「機会均等」であるけれども、結婚・出産から人生が一様ではなくなるのかもしれない。‘超勝ち組‘の雅子妃が「お世継ぎ」を産むという自分の努力だけではどうにもならない問題を抱えた時、自分の中で自分の「キャリア」が崩壊したのではないだろうか?この本は美智子皇后の厳しい子育て・正田家の精神性・小和田家の勤勉、等々家風から二人を論じている。小和田家の部分がもう一つ掘り下げられていないことが残念。又、肝心な「雅子妃回復へのマニュアル」といった視点は無いような読後感。反抗期が無かった皇太子夫婦を、皇太子と同年の著者が同情を持って論じている。所謂「いい子」が大人になって直面した難問ということでは受験戦争世代には共感出来る部分が多いのでは?
孤独の人
★★★★☆
皇太子殿下は,「私は家庭の味を知らない」とおしゃった
今上陛下よりも孤独な方である,という言葉が
一番印象に残りました.
誰とでも平等に付き合うことを旨とされ,親友を持たずに
生きてこられた皇太子が,孤立してしまうのは
必然だったのでしょうか?
そして,外交官になるべく勤勉に生きてこられた雅子妃もまた
孤独な方かもしれません.
何だか,皇太子ご夫妻の結婚生活は,息詰るような日々の連続
のようで,気の毒になりました.