仏教的発想との共通点
★★★★★
下巻では、特に仏教的な発想との共通点が多く見出される。
★人と環境
「ラーマーヤナ」では、“登場人物”と“周囲の環境”が互いに呼応するシーンが、たびたび描写される。
単なる文学的描写としてではなく、仏教でいう「依正不二(えしょうふに)」の思想が根底にあることが窺える−−人間の主体性と、それをとりまく環境は、互いに連関しているとの思想。
・空間的には、環境・境遇の良し悪しは、それを感じる人間主体に原因が内在しており;
・時間的には、時代(環境)に流されるか、主体的に時代をリードしていくかは、人間の微妙な一念の差に帰結する。
経済的には「市場の創出」が一例。
例えば、
・父王との約束を果たすため、祖国からの追放を受け入れたラーマと、それにお供するシータやラクシマナが、深い森に入ると、森の猛獣たちがお辞儀するなど敬意を払うシーン(上巻);
・悪魔の恐ろしさにおののいて、月や星が一瞬にげだすシーン;
・悪魔を破り、ラーマとシータの一行が凱旋する道中、通り過ぎた山や川が喜んで新たに命名されることを求めたり、草木が生き生きとしだすシーン
他、印象にあったのは、
周囲がシータの救出を目的としていたのに対し、ラーマ王子は他の囚われている婦人たちも含め、全てを救出することを目的とし、唯一の手段、インドからランカ(Sri Lanka)まで橋を掛ける決意をしたこと。
この真剣な決意(人間の主体)を回転軸に、太陽や月の天体、四季の季節、猿の天敵であった海の怪物までもが、ラーマの架橋工事を助けたとある。
まさに、人間主体の一念によって、環境と合致し、創造的発展をもたらした、依正不二の妙である。
エゴによる環境破壊の連鎖で果は自らを不幸にするか、個々の利点を活かして価値創造できるかは、人間主体の一念に起因するとの思想が読みとれる。
更に、倒した敵にも礼を尽くし、最強の悪魔が改心する姿は、
どんな生命にも仏性があり、改善を図れると説く仏教の教えそのものである。
現代では、死刑制度への否定的立場を取る仏教的見地の淵源に通じる。
★リスとハニュマーンの由来
悪魔との戦いに尽力した証として、黒顔になったハニュマーンの種族と、シマのあるリスの種族が、現在でもインドにいるとするのは、面白い。
読み終わって、
総体的に、非常に立体感ある流れと訳、道徳的で、現代との関連をもって読めた。
できれば近いうち、もう一方のインド二大古典叙事詩、
やや長編の「マハーバーラタ」も読んでみたい。
Ref.
※依正不二:「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる」日蓮大聖人「瑞相御書」より, 建治元年