アジアに広く根付いている文学作品として読んでおきたかった
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インドをはじめ、インドの影響を受けた地域、タイ、カンボジア、インドネシアなどでは、歴史建造物や、芝居・影絵などの芸能で、今でも語り継がれる名作。
口承文学として、源流は紀元前10世紀ともいわれるので、超ロングヒット作である。
当然、影響範囲も広く、仏教説話、アラビアンナイトなど、多岐に渡る。
「ラーマーヤナ」は、「マハーバーラタ」とあわせて、インドの二大古典叙事詩。
読みやすく少年少女向けに、河田清史氏により、童話風物語とされたこの初版は、戦時中とのこと。
この物語がもつ、非常に躍動感があり、3D映像が浮かぶような立体感が、よく伝わってくる名作だと思う。
上巻は、ラーマ王子の妻シータを連れ去った、悪魔ラーバナの居場所に向かうところまで。
※ラーマ:至上神ビシュヌの生まれ変わり
冒頭、河田氏のことば「この大切な物語について」にも、納得。
◆日本の古典「古事記」「日本書紀」やギリシャの「イリアス」「オデッセイア」の名を聞いたことがあっても、「ラーマーヤナ」を知らない人が多いのではないか。
◆「アジアの何億という人びとの胸に、いまもなおはつらつと生きている」この物語を知ることは、アジアがひとつになり、アジアを知ることに繋がる。
道徳教育の面も兼ね備えた「ラーマーヤナ」は、
王や乞食の身分に寄らず、約束は守り、罪は償い、善行によって見返りを得る。善行悪行は天国へ行くまでは清算されない、と語る。
表現に差異はあれど、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三大一神教、仏教でも同様の思想がある。環境・時代により変化する世間法に対し、変化しない絶対の法則(科学、真理を説いた法など)。
Arnold Toynbeeや、Ranajit Pal、その他の学者が説く、これら宗教の同一起源論(メソポタミア)をも思わせる。
「ラーマーヤナ」では、至上神ビシュヌの生まれ変わりであるラーマ王子や、その他の神の生まれ変わりの猿たち、悪魔でさえも、失敗、苦悩、後悔、一喜一憂する姿は、興味深い。
「ラーマ(Rama)」は人名。
タイの現国王はラーマ9世。タイで5月にあったデモのメインは「ラーマ4世通り」など、今でも各地で「ラーマ」の名称が使われている。
「ヤナ(Yana)」は「鏡」。
日本の古典「吾妻鏡」など「鏡」物語があるように、「鏡」が、「物語」を示唆するのも、興味深い発見。
人間と自然と神の織り成す、美しい物語
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「ラーマーヤナ」は、「マハーバーラタ」と共に世界史の教科書にも載っている古代インドの大叙事詩です。というと、とっつきにくい本のように思ってしまいますが、読んでみるとストーリーの面白さと登場人物の生き生きとした個性、今も昔も変わらぬ人間の愛や憎悪の物語にぐいぐい引き込まれていきます。レグルス文庫版は訳も噛み砕かれていて非常に読みやすいです。内容は、日本でいう古事記のような、いわゆる神話物語です。
私はこの叙事詩の中の、「雨季の黙想」という章が殊の外好きで、いつでも口ずさめるようにしようと暗記に努めました。暗い気持ちになっている時も、「雨季の黙想」の詩文を思い出すと、今ここにある自他の命は尊く、そして自分たちが生を受けたこの世界は美しいのだ、という感動が胸に蘇り、また頑張ろう!と、新たな気力が湧いてくるのです。
インドの大詩人・タゴールの本を読んだときには、タゴールはインドの雨季を心から愛した、と書いてあって、「ああ、あの美しい詩句で歌われていた、インドの人々が待ちわびるという雨季を、この詩人も愛したのか・・雨季のインドにいつか行ってみたいなあ!!」と思いを馳せたものです。
インドの人びとが様々な形で今も愛する主人公・ラーマ王子やその妻シータも魅力的ですが、個人的には善良で忠義なラーマの弟・ラクシマナや、陽気でひょうきんなサルの王・ハヌマーン、敵対するラーヴァナ等の脇を固める人物の描写が印象的です。ラーヴァナはいわゆる悪役なのですが、味も素っ気もない描き方ではなく、肉親に対する愛情や葛藤など人間味を感じさせ、彼もまたこの世界で生きる、迷える衆生であり、同じ人間なのだ、という気持ちになります。このあたり、悪役が極めて残虐な人物に描かれる(と、私は感じた)西洋の「ニーベルンゲン」や「ロランの歌」と比較して、興味深く感じました。
ともかく、インドという国とその文化が一気に身近になり、更なる興味の湧く、素敵な本だと思います。ぜひお手に取ってみてください。
東南アジア・南アジアに観光に行く前に
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仕事柄、東南アジア・南アジアを中心に仕事を行っているため、ラーマーヤナの話はところどころで耳目する。美術館、演劇、たとえ話などなど。
本書は、河田清史氏により戦時中に刊行され、昭和24年に再版、そして昭和46年再々版でレグルス文庫から刊行されたようである。小学生を対象にしたのであろうか、漢字にはすべてルビが振られている。美しい歌物語を、親しみやすいように、詩を散文にして、童話風な物語になっている。河田清史氏は、この書の冒頭につぎのような言葉を載せている。物語は、この河田氏のうつくしく、子供達にやさしく語りかけるような日本語でつづられている。
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この大切な物語りについて
いま、日本で「古事記」とか「日本書紀」といえば、だれでも“あの物語りか”と、すぐわかります。また「イリアス」「オデッセイア」といっても、“あのギリシャの物語りか”とわかる人も多いでしょう。
ところが「ラーマーヤナ」というと、なんのことかと、ほどんどの人が首をかしげます。しかし、インドや東南アジアの国々にいって、ひとこと「ラーマーヤナ」といってごらんなさい。おとなもこどもの、“あのラーマの物語りのことだ”と、すぐに解ってしまいます。
(中略)
インドはアジアで最も古い文明をもつ国であれましたので、東南アジアの各地方、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムなどにも「ラーマーヤナ」は伝わり、今日、これらの広い地方の劇や、影絵芝居や、舞踊劇の大半は、みなこの「ラーマーヤナ」の一節、一節を主題としています。そればかりではありません。東南アジアのうつくしい更紗や、装身具や、部屋の飾りなどを写真や絵でみるおりがあったら、よく注意してごらんなさい。このラーマの物語りに搭乗する人物が、みごとに模様化され、描かれていたり、掘られているのを、きっとみつけることでしょう。
(後略)
がんばれハヌマーン
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バンコクのエメラルド寺院(ワット・プラケオ)の回廊で、
178枚の極彩色壁画を見たとき、
独特な世界に一気にひきずり込まれました。
その直前には、マレーシアのコタバルという村で影絵芝居(ワヤン)を
観る機会にも恵まれており、一体これは何?
といろいろと調べてみた結果、
もとは、インドの叙情詩「ラーマーヤナ」
(タイではラーマ・キエンと呼ぶ)
であることを知り、本書に辿り着きました。
和書では、このレグルス版か、東洋文庫でしか読めません。
レグルス版は、少年少女向けですべての漢字にルビが振られており、
文章もやさしい感じになっています。
もちろん、大人が読んでも充分に読みごたえがあります。
アジアの一員として、読んでおきたい一冊
仏教がうまれるバックグラウンドのインドのお話
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南アジア、東南アジアへ旅行した時に、悪魔にお妃をさらわれた王子様が、猿の軍団の助けを得て戦う、演劇や舞踊や影絵を見たことがあるでしょう。ワクワクするそのドラマのなかに、「もしあなたが私心のない、いい行いをしようと思い付いたら、すぐに始めなさい。もし私心のある悪い行いをしそうになったら、なんとかのばして、すぐに始めてはいけません。」というような分かりやすい教訓が豊富に盛り込まれています。仏教がうまれるバックグラウンドのインドのお話です。