老荘的総合としての「淮南子」読解と、同書の歴史的重要性
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中国思想研究で著名な著者が、前漢の時代に成立した書物「淮南子」の内容と、その成立の次第・歴史的背景について解説した著作。二部構成で、第一部は「淮南王物語」と題し、漢の高祖の血をひく淮南王劉安の伝記的事実と後世に伝えられた伝説を紹介し、第二部は「淮南王の書」という題でテクストとしての「淮南子」の成立の次第とその書物の具体的内容を解説していく。
すでに先のレビュアーさんが実に上手く本書の内容を掬い上げていらっしゃっているので他の視点でこの著書の内容を考えてみると、「淮南子」の要となる要略篇が「荘子」の斉物論を活かして「老子」と「荘子」の内容を総合し、儒家や法家や墨家などの思想をも総合して、結果的に老荘的統一理論を作ろうとしたことが儒家の統一理論の形成への反作用であったこと、それが同時に中央集権に逆らおうとした華南の地域的抵抗でもあったことは政治と思想が影響しあっていることの好例として映るし、テクスト考証の捌き方も眺めている分には面白く、「淮南子」を成立させた淮南の地の文化、特に「楚辞」について触れている部分は「楚辞」を読んでみたいと思わせてくれるし、後の時代へと視線を移せば、ここで現実への対応に挫折した老荘の統一理論が神仙思想へと流れていく道筋が思い浮かぶし、中国独自の仏教教説である禅につながる部分もあり、また朱子学の中には「淮南子」でまとめられたヴィジョンが活かされているのも思い浮かんでくる。著者はあくまで「淮南子」という書物とその内容について詳しく説明することに徹し、後世への影響についてはあえて詳説しなかったと断っているが、ここで「淮南子」について委曲を尽くして懇切に教えてくれているので、これを抑えると後世への影響が想像しやすくなってくる利点がある。
ここで示されている思想の内実はおそらく日本人にもしっくりくるものだと思う。儒教嫌いの本居宣長も「玉勝間」のなかで、老荘の教えについて留保つきではありながらも共感を示している。もう一度「荘子」「老子」を読んでみたくなるし、もちろん「淮南子」も読んでみたくなる一冊。
老荘の出会い
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老荘思想に関心のある人には必読書だ。
本書によるとそもそも「老荘」というくくり方は淮南子から生まれたという。老・荘二派の出会いの場となったということか。
淮南子は戦国時代に流通していた思想全般のほか、神話・説話、天文・地理、処世・政治等を百科全書的に集大成したもので、分類上「雑書」とされる。雑書だが老荘的統一の視座をもつ。これを編集したのが漢の武帝と同時代の親戚である淮南王劉安である。
劉安は中国南部の半独立的王朝を立てていたが、後に謀反の嫌疑で自殺を強いられ、同地は漢に統一される。本書により淮南子は儒教国教化に抗してまとめられた、戦国の自由思想の最後の光芒の書であることを知る。
本書前半では編者劉安について昇仙伝説にいたるまで詳細に述べられ、後半は老荘的統一をテーマにした思想編となっている。
著者は内編を中心とする原「荘子」が淮南の地に持ち込まれ、淮南子を経て老荘的に増幅され、そのメルクマールとして淮南子が位置するとみる。
淮南子以降、劉安の昇仙伝説に見られるように、老荘思想は神仙思想に傾斜していくように見えるが、淮南子ではまだ道家として 社会に踏みとどまっていると著者は分析する。
方士と道家の結びつきもここから始まるのだろうか。
老荘思想は儒教に敗北したが、2000年後の今日、個人と自然を重視した老荘思想は世界的レベルで注目されている。そうした視野に立って、幅広い内容を含む老荘的集大成の書としての淮南子を見ると、当時の老荘思想の受け止め方が見えてきて興味深い。
本書は淮南子の入門書・解説書としてはおそらく唯一の本で、内容的に充実していて、かつ刺激的で、繰り返し読むに耐える最上の書である。