旅立ちのあと・・・
★★★☆☆
本書は旅立った後の解脱させる方法が
記された寛容な書であります。
何度も解脱への導きがあり、
四十九日の試練が描かれています。
(素直ならすぐ解脱できますが、
信用しないとさまよいます)
これらの取り組みを読んでいると、
周りの人が何度も導きを与えても、
解脱できない人の存在を感じると、
カルマン(業)の深さを
認識せずには、いられません。
また、解脱できず胎に入ることに
なった場合でも、より良い胎に
入れるように導いてもくれます。
チベット仏教の寛容さを
垣間見れる本であるとともに、
眠たくて理解できない波が
幾度も訪れる本でもあります。
教養書
★★★☆☆
死者に語りかける死後の世界のガイドですが、まず、この思想に感激します。自分がいつか死んでしまう前にこの知識に触れることができただけでラッキーかな、と思います。具体的な内容についてはまるでおとぎ話のようでもあり、深遠なインスピレーションを感じるヒントになります。
仏教に疎い私は専門用語がたくさん出てきて理解に苦しみましたが、大陸を渡って日本に仏教が訪れたこと、日本がアジアと繋がっていることを強く感じさせてくれました。教養としておすすめの本です。
釈尊のご観覧された解脱への道程について
★★★★★
本書は大変よく詳述されており、物語性、読みやすさ、そして注釈とも、もちろん理解度は個々人に依存しますが、訳者は素晴らしい仕事をされたと思います。さて、釈尊の教えを、私なりに理解する所では、大きく以下の三つになろうかと考えます。1)ものには実体はなく、すべては移り行く、2)すべては因果により起こる、そして3)無執着と涅槃への解脱の意義、です。本書のストーリーにはこれらすべてが内包されており、釈尊の語られたことはまさしく真理であると頷けます。とはいえ、私にはどうしても腑に落ちない事があります。本書にあるような、とてつもなく恐ろしい経験(これは意識による実体のないものなのですが)を経ずには、死後、果たして”解脱”できないのであろうか、という事です。すなわち、釈尊もやはり同様の経験をされ、それを悟られたのちに、”もはや解脱=輪廻転生することはない”とおっしゃったのか?もしそうだとすれば、解脱から涅槃へのまさしく方便として、上記3点を衆生に説いてきかせた理由が容易に理解されます。”私が悟ったことをみなに説いても誰も理解できまい”として、釈尊は当初、自身が悟られた“真理”を下々に説くことを確かに拒否されました。一転してそれを説かれるようになる経緯は、原始仏典にかかれてあるとおり、神の説得を諾されてからです。本書にあるような過程を、真理への過程でご観覧されたのだとすれば、私ども凡人の到底理解するところではないという釈尊のご判断は正しかったのです。泰斗中村元先生が推薦文を付与されたという事実は、本書の明々白々な意義を呈示しています。が、しかしながら、釈尊が悟られた”真理”と、本書にあるそれとの間には、私が埋め得ない“ギャップ”が厳然とあり、それ故に“腑に落ちない”のです。いずれにせよ、私自身のさらなる学究が必要なことは確かです。
**チベット死者の書の決定版**
★★★★☆
「チベット死者の書」(バルドトゥドゥル)は、他にも2-3翻訳がありますが、この本を別にすると英訳からの翻訳で、ある程度、仏教思想の心得のある人が読むと、かえって理解しづらいものです。しかも英訳には、誤訳が多いといわれており、いい意味でも悪い意味でも、原典を伝えていないようです。私は、この本を読んで、別の翻訳を読んだ時、感じたもやもやがすっきりしました。もし、「チベット死者の書」を読もうとされるなら、まず、この本からスタートされることをお薦めします。