インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

わが愛しの芸人たち

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 河出書房新社
Amazon.co.jpで確認
「桂三木助 死の真相」は貴重な証言、解釈 ★★★★☆
 「桂三木助 死の真相」と「芸術祭に袂別するの辞」が面白かった。いずれも著者しか書くことの出来ない内幕が語られているからだ。特に三木助の自殺については、当時一般には「看板の重荷」の一言で片付けられてしまっていたので、本稿は貴重な証言、解釈になっていると思う。この距離感は小林信彦と横山やすしの関係を思わせる。よく書けている。是非“「三木助歳時記」の続編”を“遅くとも十三回忌の年”には書いてほしい(“早くて七回忌”の今年は無理だろう。著者は手だけ挙げて先送りの有言不実行の悪い癖があるのでちょっと心配。読者は期待しちゃう訳で)。
 それにしても自らをアンツルに準える自意識はちょっと鬱陶しい。談志師匠に「状況判断ができない奴を馬鹿と言う」って言われちゃう。もしかするとアンツル幻想を相対化する意味とか、三代目三木助に対するアンツル、四代目を受け持つ著者ってペアによって、その器を謙虚に示してるのかもしれないが。
 相変わらず、談志の、人の死に際しての言葉、態度をフォローしていて、ここら辺は著者の面目躍如だ。嫌っていた柳朝の葬式に参列した時、小朝に伝えた「来るべき時だから来た」って言葉。三木助の通夜の前、自宅に立ち寄った小朝に「それで、救えたのか救えなかったのか」と問い、小朝が「救えませんでした」と答えると、「そうか、ならしかたねえ」と納得し、三木助の姉を電話で慰めた後に掛けた「馬鹿どもがいろんなことを言うだろうけど、全部小朝に任せておけばいい」って言葉。こうした言葉や態度は談志の芸とも通底している。ステレオタイプな言葉、態度を拒否しながら、真底、愛情が感じられるっていう。「主観長屋」にしても「落語チャンチャカチャン」にしてもイリュージョンって“愛あるポストモダン”だもんね。脱構築の技法と落語へのオマージュが共存し、芸として成り立つってのは、勿論、立川談志の力量あってのものである。