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アイヌ神謡集 (岩波文庫)

価格: ¥1,000
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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天才の残したもの ★★★★★
著者の知里幸恵さんはアイヌ民族出身ではじめての帝大教授となられた知里真志保博士の実姉です。文字を持たないアイヌ民族が歌のように口伝で伝えていたyukarを、著者は正確にローマ字で記録し美しい日本語に訳しました。

また、それまでyukaraとしるされていたユーカラをyukarと実際の発音の通りに最初に綴りました。ネイティブスピーカーなら当たり前と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。たとえば、日本語のザ行の子音は、語中では/z/の音ですが、語頭では/dz/の音になります。つまり、財産は/dzaisan/、散財は/sanzai/ですが、それに気付いている人は少ないはずです。

著者とインドの天才数学者ラマヌジャンが重なって見えてしまいます。北海道で育った人には東京の夏は辛かったのではないでしょうか。ラマヌジャンもイギリスに行かなければ、長生きしていたのではないかと思います。いろいろ考えさせられます。
古い思い出 ★★★★☆
銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに

子供のころ、祖母の家に泊まった夜、夜更かししていると、「貉(ムジナ)に食われるぞ」とおどかされたのを思い出しました。

古い神々と人間が共存していた時代にすこしだけ触れたような気がします。
隠れたベストセラー ★★★★★
わずか19歳で亡くなったアイヌ民族の知里幸恵さん。
しかも、編集にかかわったアイヌ神謡集の発行前に…。

発行されてからだいぶ経つのに、今もなお印刷されつづけ、
本屋さんに行けば、ほかの本は1冊ばかりなのに、5冊くらい在庫を常に置いている。
アイヌの口承をローマ字で起こし、さらに弟の知里真志保さん、金田一京助さんの解説付き。
知里幸恵さんがアイヌ民族としての誇りを、アイヌの文化をこれからも
後世に伝えたい…という切なる想いが込められている気がします。

その想いは現代に生きる私たちに届いているのか、現在も発行され続けています。
まさに、この本は「隠れたベストセラー」です。
アイヌのお茶目さ ★★★★☆
 大正12年に郷土研究社から出た『アイヌ神謡集』を補訂して岩波文庫としたもの。
 編訳者の知里幸恵さんは、石狩の近くの出身のアイヌの女性。本書を遺して20歳で亡くなったとか。
 アイヌの神謡13篇のアイヌ語−日本語訳が収められている。
 左頁にローマ字表記で原語が書かれ、右頁に対訳が載っている。
 「神謡」とは神のユーカラのことであり、神や動物(アイヌでは動物は神とされる)がみずから語るという形式になる。
 本書に収められているのは、「梟の神の自ら歌った謡」「狐が自ら歌った謡」「海の神が自ら歌った謡」「小オキキリムイが自ら歌った謡」「沼貝が自ら歌った謡」などである。
 彼らが自ら歌うというところが面白い。
 狐のならば、人間に悪戯をしたら捕まって殺されてしまったというような内容を、殺された後になって狐が後悔しつつ歌うのだ。しかし、陰惨なものではなく、むしろおかしみが強い。
 神の概念、動物を神とすること、死んだ後に謡を歌うことなど、実に独特の世界だ。
 金田一京助、知里真志保による解説が付いている。
経済・文化が曲がり角にいる現代に贈られたアイヌ神謡 ★★★★★
「銀のしずく降る降るまわりに(Shirokanipe ranran pishkan)」というリフレインが印象的な冒頭の神謡をはじめ13編を、ローマ字によるアイヌ語と日本語を対訳にして収めています。

序において、著者は、アイヌがかつて自然のすべてと溶け合って日々を送っていた楽しく幸福な時代を想い、それらが失われつつある現代(大正時代)を憂えます。幸恵は、その楽しくも幸せな時代の謡を、後世に伝え、和人にも知らそうとこの書を編みながら、数え二十歳の生涯を閉じました。巻末に、彼女のことについて金田一京助の紹介があり、神謡について知里真志保の解説があります。

真志保(幸恵の弟、北大教授、文学博士)によると、アイヌ文学は、韻文物語(詞曲)と散文物語(酋長談)に分かれ、前者は神のユーカラ(神謡)と人間のユーカラ(英雄詞曲)に分かれ、さらに前者はカムイユカルとオイナに別れます。そして、それらがどんな背景のもとで生まれ、変化してきたかが解説され、中でも神謡について、その名称が各地で異なることとその意味と特徴が示されます。リズミカルで親しみやすいリフレインについても解説されます。二十数頁の論文ですが、アイヌ文学入門でもあります。

経済、文化が世界的に曲がり角にいる現在、このような神謡の世界に遊びながら、人間の未来、これからの自然と人間の関係などに想いを馳せることは意味のあることと考えられます。