アガサは、その自伝で、この「チムニーズ館の秘密」について、「完全に軽い読み物で、書くのがおもしろくて、早かったし、またこの時期いろんなことがうまくいっていて、それがわたしの作品に気楽な軽いものとして反映していた」と語っている。たしかに、ユーモアとウイットに溢れ、スラスラと流れるように軽快な文体からは、作者自身が楽しみながら、一気に書き上げた様子が伝わってくるのは事実なのだが、作者の謙遜を込めたこの「軽い」、「気楽な」といった言葉を真に受けて、あなどることなかれなのである。
各国の王族や外交官が集う社交の場、チムニーズ館で、バルカンのある国の王子の殺人事件が起きる。事件には、政権の行方を左右する石油利権や回顧録の存在が絡んで、共和制維持派と王政復古派、英米の資本グループ、アフリカ帰りの謎の男、各国の名刑事から、果ては正体不明の変装の名人の宝石泥棒までが入り乱れ、才色兼備の若い女性を巡る恐喝事件とロマンスも間に挟み、面白いことこの上なしなのだ。最後には、「株主総会」と称する関係者が一堂に会した中での本格派ミステリ並のあっと驚くどんでん返しも用意しており、入り乱れた人間関係とストーリーも、しっかりと収束してみせる。気楽に書いて、こんな面白い作品では、並の作家はたまらないだろう。