マザーグースの唄の順に起こる連続殺人
★★★★☆
金持、貧乏人、乞食、とマザーグースの唄の順に起こる謎の死。果たしてこれは、何者かによる連続殺人なのか?
趣向は面白かった。作者もクリスティーみたいにひとつの唄で起こる連続殺人ものを書いてたんだね。
ただ、その謎の解答を論理的に導き出すことが不可能な点はやや不満。
また、エラリイがリーマの小屋を訪ねようとしたところ、リーマの挙動が不審で「なにかあったに違いない」と思わせぶりに書いて読者に目くらませしておきながら、結局何があったのかの説明がなかったのは、ちょっとずるいと思う。
たぶん、作者が忘れてただけなんだろうけどね。
使われているのはアメリカのマザー・グース
★★★★☆
本書はライツヴィルもの第4作。ただ、私は他のライツヴィルものは読んだことがなく、本書を読もうと思ったのは『靴に棲む老婆』に続くマザー・グースものだったためである。
本書では金持、貧乏人、乞食、お医者に弁護士...とマザー・グースの唄の順に続く死を扱っている。
作者はクリスティーの『そして誰もいなくなった』と同趣向の作品を思いついたが先を越されてしまった経緯があり、とりあえず寄せ集めの唄による『靴に棲む老婆』でお茶を濁した感があったが、おそらくどうしても『そして誰も〜』のようにひとつの唄で起きる連続殺人ものを書きたかったのだろう。
その点、横溝正史が童謡殺人という点で『獄門島』で満足できなくて『悪魔の手毬唄』を書いたのと同じようなものだと思っている。
私は多少なりとも真犯人を疑いつつも、別の人物が一番疑わしいと思っていたので見事にだまされた。(その人物の死体は行方不明のアンダースンとすり替えられたものと疑っていたのだが)
また、アンフェアな『靴に棲む老婆』よりずっと楽しめた。
なお、本書で使われたマザー・グースはアメリカのもので、本家本元のイギリスでは次の歌詞で唄われている。
鋳かけ屋 仕立て屋 兵隊 船乗り 金持ち 貧乏人 乞食 (訳:藤野紀男)
作者はアメリカ人だからイギリスのマザー・グースは知らなかったのだろうが、ここにもイギリスの唄か、アメリカの唄かという「ダブル」が存在するのである。
後半の追い込みがスゴイ
★★★★★
1950年作品。いわゆる『ライツヴィルもの』の最後の長編。『ライツヴィルもの』は1942年の『災厄の町』に始まり、『フォックス家の殺人』→『十日間の不思議』→『ダブル・ダブル』と続き、『クイーン検察局』や『クイーンのフルハウス』に含まれる短編いくつか、そして1970年の長編『最後の女』があるが、この頃はクイーンは監修のみ行っていて、別人が書いている。よって最終は本作で、ライツヴィルの登場は、『帝王死す』の最後でライツヴィルに戻るシーンなのだろう。(●^o^●)
『ライツヴィルもの』の最後を飾る本作は他の作品と趣向がかなり変わっている。常に新しい取り組みを止めないクイーンの意志が感じられる。とくに本作ではエラリィの執着心を描いた後半がスゴイ。双子のワルドーにおかまないなしで詰め寄るクイーンにご注目。(●^o^●)
童謡殺人
★★★★★
クイーンにおけるマザーグース童謡殺人事件
二重の二重という原題が指し示すところは・・・
童謡殺人も連続殺人も犯人の意図しているところではないのに
どんどん深みにはまってしまい
という苦しみが中心