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主語を抹殺した男/評伝三上章

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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力み過ぎです。 ★★★★☆
 そもそも言語学はヨーロッパの学者の印欧語族の言語の研究から始まったもので、その成果(文法)を異質の存在である日本語に当てはめるのが無理であることは、それほど言語学にくわしくない者でもわかる。「主語」という概念を日本語に当てはめようとして「日本語では主語を省略する場合があります」なんて苦しい説明をする。「最初からない」と考える方がどれほど自然か。だが、在野の学者三上章に発見について、東大閥を中心とする国語教育界は無視を決め込んでいる。どう考えても時代遅れの学校文法にあえてしがみつく愚かな学閥の権威主義はこまったものだ。三上でなく東大出の大先生がこの説を初めに唱えたら、あっさり採用されていたに違いない。
 その三上の論の熱烈な支持者であり、一般向けの書物も多い学者である著者(ということは専門のノンフィクションライターでも作家でもないということ)が三上の評伝を試みたのがこの本。ただ、作家の高田宏氏が一度執筆しようとして断念したことからも推測されるように、どうも社会不適応者に近い三上氏の一生をシンパシーを持って描くのは困難なのだ。だからというわけでもないだろうが、著者は思い切りテンションを上げて三上氏の人生、そして三上文法に見せられた自らの人生を称揚して描いている。いささか牽強付会気味に三上と自分とついでに本居宣長あたりまで持ち出して人生を重ね合わせているところなど、白紙の状態の読者にマイナスの印象を与えるのではと危惧するくらいだ。その力み過ぎの部分を差し引いて鑑賞いただきたい。日本語文法論に興味をもった方はさらにこの著者や三上の著作に進んでほしい。
 一点、揚げ足をとらせていただくならば、著者の思い出の授業の場面に出てくる「雪」の歌詞は「雪やこんこん 霰やこんこん」ではなく、「雪やこんこ 霰やこんこ」が正しい。
ひとりよがり ★★★★☆
金谷の三上文法の解説は何の説明もなしに専門用語が出てきて、読者を混乱させる。
たとえば、突然、主格補語とか、補語の共和制という用語が説明を与えられずに出てくるのである。これでは三上文法のすばらしさは理解されるが、その構造は理解されずにおわる。次のような個所を理解できるであろうか。「これで最初の氷山「私はあなたを愛しています」が悪文なのかもわかった。文脈であきらかにわかるのに、不要な補語がついているからなのだ。三上の主張をさらに援用すれば、日本語は述語だけで文なのだから「愛しています」あるいは「好きです」だけですでに文なのである。いっぽう、だれのことかがわかっていても、英語ではSVO構文にしないと文にならないから、わかりきった「私」や「あなた」をわざわざ使って「I love you.」と言うのである。本多勝一に倣えば、「I love you.」からは英語の悲鳴が二回聞こえてくる」
直接、三上の著書を読んだ方がはやい。どこまでも伝記である。しかも著者の自慢話の。
こんな言語学者がいたのか ★★★★★
「日本語に主語はない」と喝破した市井の言語学者 三上章(彰)氏の伝記。とにかく面白かった。第一級の伝記を読む醍醐味を満喫するとともに、本書を読んで主語抹殺論のエッセンスも理解できた。(著者の感情移入も、当方には苦にならず。)また、何よりも舶来理論を尊び、国産理論を唾棄するわが国の日本語学界の「歪み」には怒りさえ覚える。晩年のクルト・ゲーデルを思わせる氏の姿(写真)が痛々しい。(なお、本書157頁で「蛍の墓」とあるのは「火垂るの墓」の誤り。講談社さん、しっかりお願いします。)
三上章という「街の言語学者」の存在を知ることができただけでも読んでよかったと思う。 ★★★★★
日本語の文法にさして興味があるわけでもないのに、「主語を抹殺した男」という刺激的なタイトルだけで購入。

著者の三上に対する敬意、三上章という学者とその文法論を多くの人に知って欲しいという熱意は十二分に伝わってくるし、文章も読みやすいが、優れた「評伝」作品の条件と私が勝手に定義している、文章から滲み出る著者の体臭みたいなものはあまり感じることができず、三上の功績と生涯の紹介した作品という域はでていない。著者がノンフィクション作家ではなく学者であることも理由だろうが、「評伝」としては若干物足りない気がする。

それでも、この作品を読んで、本当に良かったと思ったのは、三上章という「街の言語学者」の存在を知ることができ、さらに彼の日本語文法の一端ではあるが、それに触れることができたからだ。

評伝作品なので文法自体は一部しか紹介されていないし、その一部でさえも理解できたかどうか自信はない。しかし、著者がカナダの学生に日本語を教え始めた頃、学生に「私は日本語がわかります」の主語はどれですか、と質問されて答えに窮したのと同じく、数年前、小学3年の息子に同じような質問をされ、そして著者と同じく答えに窮してしまった私にとって、三上の主張はおおげさではなく目からウロコだった。

三上の日本語文法は近年注目されているようだが、いまだ主流ではない。素人にはどちらが正しいのかは解らない。しかし、外国人や小学生にすっきりと説明ができる文法が間違っているとは思えない。

そして、学校で教える文法とは異なるが、学生の時にその存在を知っていれば、という思いが読了後に残った。
判断を委ねたら ★★★★★
 この評伝で三上章の生涯と、三上の日本語文法の業績が詳らかにされました。著者はカナダの大学で日本語を教える先生です。その教授体験に基づいて三上の日本語文法が考察されています。裏づけのしっかりした『「評」伝』です。
 「象は鼻が長い」。学校で教えられた「は」と「が」です。学校文法では「は」と「が」は「主語」を導くという文法規則のために「第一主語」と「第二主語」という説が考え出されました。ところで、この第一主語、第二主語説はその場の理窟です。残酷な断言ですが、いまこの説にどれだけの人が納得するでしょう。三上文法はこれを実にスマートの説明してくれます。
 三上文法に基づく日本語教授法の本(日本語基礎講座)を他にも見ます。読むとよく理解ができます。こういう形で三上文法が評価されていながら、なぜ従来の日本語文法の見直しがなされないのでしょう。不思議です。
 主語あり日本語文法にはやはり無理があります。三上文法を無視し、悪戯に誹評するのではなく、三上文法を公正に評価すべきではないでしょうか。この国には複雑に絡んだ内規のようなものがあるようです。ではこの際思い切って、海外で日本語を第二外国語として学ぶ人たちに判断してもらうのです。彼らは率直です。遠慮なく率直に疑問をぶつけてきます。第一主語、第二主語の説明をしたら彼らは納得してくれるでしょうか。軍配を彼らに預けるのです。こういうことに関しては日本人はからっきしだめです。ゆだねておくといつまで経っても埒が明きません。だから彼らに任せるのです。それが最善です。ひいてはそれが日本語の明るい未来につながります。