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ゾクチェンの教え―チベットが伝承した覚醒の道

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 地湧社
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読解には瞑想実践が必須 ★★★★★
比較的読み易いので、さらりと読めてしまう本ですが、言葉だけをなぞるだけで
終わるなら、得るところは何もないかもしれないかもしれません。
何らかの瞑想実践を日々行っている人なら、体験(ささやかな体験であれ)を通
して、ナムカイ・ノルブ氏の語っていることを少しでも解し、自分のスタイルや
日常生活に活かしてゆくことができるでしょう。
そのときこそ、この本は、有効に活用することができます。

とてもシンプルなのですが、計り知れない奥深さを持ったゾクチェンの修行法、
思想の解説、他、諸仏教との比較(違いについて)語られています。
ゾクチェンの実践において、特に重要視されるのは、
・日常生活において、気づき続けていること(覚醒を保つこと)が大事。
・重要なのは、心身ともに”リラックス”していること。
だということです。簡単なようでいて、実際やってみるととても難しいです。
しかし、いつも心がけていれば、意識の明晰さは格段と高まるでしょう。

巻末で訳者が、チベット系仏教の歴史についてまとめられていたので、仏教の歴
史に対する理解も少し深めることができました。

この本を読んでいて、何度もケン・ウィルバーの著作を思い出しました。
ケンもゾクチェンについて何度となく触れています。
ウィルバーファンにも、お勧めです!
ゾクチェンは、中観思想や如来蔵思想を超えるものではない! ★★★★☆
“全ての仏教の伝統において、修習には二つの段階がある。すなわち、「寂静な境地(シネー、止)」と「直感的洞察(ラントン、観)」である。(p.150)”と述べた後、ある種の内的な智慧が目覚めることを意味しているラントンが、それぞれの体系でどう表現されているかを示しているが、ブッダ釈尊の教法の方が正確で詳しい。すなわち、『Anapana-Sati Sutta』(前半の漢訳は『安那般那念経(雑阿含経803)』)は、1)カーヤ(身体・呼吸体)を対象とする瞑想、2)ウェダナー(感情)を対象とする瞑想、3)チッタ(心)を対象とする瞑想、4)ダンマ(五蘊に対する四聖諦)を対象とする瞑想、の4段階からなり、各段階はさらに4ステップからなる。第1段階の第4ステップで「仮想の像(ニミッタ)」(空海はこれを明星と表現した)が現れる所までが、「集中の瞑想(サマタ、止)」である。第2〜4段階は「深い洞察の瞑想(ヴィパッサナー、観)」である。21世紀はこうした比較対象により、ブッダ釈尊の教法を明確にすることが望まれる。

また、龍樹の中観思想と如来蔵思想に共通する接点は、「四沙門果のシュダオン=預流=初地では、煩悩がまだ断ぜられていない」ということである。パーリ律蔵の『大品』によれば、“仏陀釈尊が在家の青年ヤサに「施・戒・生天」を説き、ヤサが業報思想を理解し、因果の道理を正しく信ずるようになると、四聖諦を説いた。その結果、ヤサに塵なく汚れなき真理を見る眼(清浄無垢の法眼)が生じ、初歩の聖者(シュダオン)になった”とある。シュダオンは、まだ身見・疑惑・戒禁取の三結を断じた第一段の聖者に過ぎないのである。これこそ、龍樹が目指したものであり、如来蔵思想が訴えようとしたものである。この視点に立てば、ゾクチェンもブッダ釈尊の教法を異なる表現で独自性を主張しただけに過ぎないことが分かる。つまり、リクパとはシュダオンに導くものであり、シュダオンになってからは斯陀含・阿那含・阿羅漢を目指して実践を導くものに他ならない。このことを現代風に表現するならば、凡夫が四沙門果になったのだから、凡夫には聖者.zip がある筈で、四沙門果になると解凍された聖者.exe がインストールされて機能するのである。聖者.zip を如来蔵・仏性あるいはリクパと命名し、聖者.exe の最終段階をゾクチェンと命名したと考えれば、仏教史のコンテクストが明確になる。
ゾクチェンについての爽快な入門書 ★★★★★
ゾクチェンの基本部分について、分かりやすく明確に説明されている。読んでいて目の前がパッと開けたような
爽快な気分になった。顕教・密教・ゾクチェンの違いや位置づけも分かって得した気分だ。そうだったのかー。

1章の最初の所で、「自分自身を観察すること、自分自身の限界の様子を観察してみること」の話に本物の匂いと、
インパクトを感じた。これはすごい観点ではないかと。より良く生きるための入り口になると思った。
まず1章の10数ページだけでも読んでみて欲しい。(p.7〜10初、p.16後〜25)これだけでも得られるものは大きいと思う。

発見すること、体験し、理解すること、その境地に留まり続けること・・・どの教えでも、段階は同じようだ。
全体の見通しが得られるので、顕教・密教について学ぶ際にも参考になり、より深く理解できるようになると思う。
[初期仏教、中観思想、タントラ、禅、アダヴァイタ系ヴェーダンタなど]
全体の見通しを持っていると、修行や日常生活でも、目的がはっきりし、各行為が生き生きとしてくると思う。
多くの人に、できるだけ早い時期に読んでもらいたい本である。