ただ美しいだけの恋愛ではなかったことにほっとさせられた
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少年のようでいて現実的なマコを本編で知り、納得しました。当事は美しすぎるミコ側からの日記を読み疑問を感じていたのですがやはり男性と女性とではこんなにも感性が違うものかと認識した次第です。マコのような純粋で武骨な男性はある意味理想です。
ミコの知らない世界がここに。
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「愛と死をみつめて」「若きいのちの日記」に続く完結編です。
私は全巻持っていますが、この終章が一番好きです。「若きいのちの日記」では、若い女性の視点から見たマコの姿を追っていますが、この本はマコから見たミコの視点のみならず、病人であるミコをどうするか。どのような思いでマコと家族はミコを救おうとしたのか。病人に隠さなくてはならない医療側の意見などが正確に記載されており、また、東京から遠い大阪までミコに会いに行くために、どれだけ多くのアルバイトをしなければならなかったのかまで言及されていて、この本を読んで全てが明らかとなりました。
神様は、ミコとマコを病気をもって出会わせた。これはどういうことだろうかと自分なりに考えてみたのですが、きっとお互いに欠けているものを補うため。そう思えてならないのです。
マコにとって、ミコの繊細さ、周囲に対する配慮の出来映え、忍耐強さ、何より無償の愛。衝撃的な才能だったと思います。一方、ミコにとっては、マコの行動力、決意の強さ、一人を愛する生真面目さ。そしてちょっと抜けた人間くささ。そんな素朴さがミコには新鮮にうつったのではないでしょうか。
わずかな交際期間でミコは他界し、亡骸がどのような状態だったのかも詳しく書かれています。この部分では、私も泣きました。凝縮された二人の愛に、もらい泣きしてしまったのです。「こんな純粋な二人が、病気によって引き裂かれた」同じ男として、愛する者の死は何より辛いことです。そのことを一冊の本にまとめた河野さんは、きっとミコに読んで欲しくて企画したのでしょう。ここまで書けるまでに落ち着いたから、安心して欲しいと・・・。
ミコとマコは、互いに支え合うことで、充実した男女の幸せを得たのだと思います。そして、二人の愛は今も続いている。
もう5回以上も読んでいますが、未だに飽きること無く、私に問いかけを続けています。男女の愛がどうあるべきなのか。自然体で相手を愛することは容易なことなのか。終章とありますが、私には哲学の始まりに思えてなりません。
河野実さんの記憶力に脱帽
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「愛と死を見つめて」シリーズの完結編である。ここでは、書簡集と日記には書かれていなかった様々な事実が初めて公開されている。二人の愛がどのように育まれたのか。人として見返りを全く求めない信頼関係がどのように築きあげられたのか。この本によってようやく明らかになった。それにしても、45年も昔のことを、河野さんはよくここまで細かく覚えていたものだ。その記憶力と、みち子さんとの深いつながりに拍手を送りたい。特に私が良かったと思うことは、みち子さんが他界されてから葬儀に向かうまでの事実が書かれていたことである。ここを知るのと知らないのでは、この純愛の理解度がかなり隔たることになる。僕が残念に思うのは、マコとミコが死後の約束をしなかったことにある。肉体は滅んでも、魂は不滅だ。ミコが他界した後、魂として目覚めてから、すぐに自分のところに来るようにと、なぜマコは言って口付けをしなかったのだろう。魂として生涯自分と手をつないでいて欲しい。どのような人生を送るのか、きちんと見ていて欲しいと、なぜ言えなかったのか。このことが残念でならない。ミコさんは、大島家の先祖代々の墓には入らず、新しいお墓に納骨された。大島家の家族は、ミコさんを既に嫁に行ったものと判断していたのである。マコは他の女性と結婚したが、己が他界するまで、いや、他界した後もミコと一緒になることを、この本で約束している。これほど壮絶な愛に巡り会ったことは一度も無いし、鋼のように強い人としてのつながりを見たことも無い。男女の愛が決して生易しいものではないことを、事実として私達に見せてくれた。男女の関係が軽薄な現代にこそ必要な事実であり、手本でもある。但し、この本は河野さんから見た世界観であるので、是非「愛と死をみつめて」と「若きいのちの日記」を合わせて読んで頂きたい。
プリーツスカートに白のブラウス姿のミコさんはどんなに綺麗だったことでしょう
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当然だが、大嶋みち子さんの声が聞けたのは、1963年の夏までである。大嶋みち子さんは、1955年ころから鼻の異常を自覚、1963年夏、大阪大学付属病院において永眠。21年の生涯であった。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりである。
本書は、河野実さんが1960年夏、同じ病院に入院していた大嶋みち子さんと知り合ってからの、回想である。間違ってはいけない。河野さんが思い返した事象の意味づけを書いてられるのである。一方からの事実ということを読者は、理解した上で読むべきである。
おそらく、本書を読もうとされる方々は、他にも書物や映像を通してお二人の青春の苦悩と喜びに満ちたひと時をご存知のことであろう。日記や手紙というものは公にしようとして記すものではないし、気持ちを素直に書けないときもある。他者には解釈できないこともある。
河野さんに向けては、さまざまな意見や批判があろうことはご承知の通りであるが、大嶋みち子さんは最愛の人に、お別れが来たら素敵な女性と巡り会え幸せな家庭を築いて欲しいといった趣旨の、涙をこらえての、一言があったのであろう。私的なことなので何とも言えないが、けなげで聡明な大嶋みち子さんは、「さようなら さようなら」にそのようなことを含めてメッセージを伝えたと理解したい。
大嶋みち子さんが亡くなられて40年以上も経ち、河野さんは、心のうちをお二人の会話を通して吐露してみようと思う時期に至ったのであろう。僅かな年月でも、青春の一時期の経験は私たちが生きていくうえで、いつまでも鮮明であり、大きな位置づけを示すものである。
「ミコとマコ」との56日
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愛と死をみつめて(書簡)と、若き命の日記の補足部分を補う本です。
手紙に書かれていない、二人で過ごした時間が描かれています。
スッキリとした解り易い文章で、当時の二人の様子が頭の中に綺麗に浮かんできます。
当事者の河野さんが悲しみのため、非常に描きにくい事は、容易に推測できますが、
みち子さんとの最後のお見舞いそして別れの部分、
河野さんご自身の心理描写が、もっと克明であればと・・
私的にこの部分が、少し惜しい部分があり残念に感じます。
然し、「ミコとマコ」の青春の一頁と彩る本としては、完成度の高い内容です。