彼についてわかったような、さらに謎が深まったような
★★★☆☆
近年、現代思想関連の新書と入門書等で優良な仕事を量産し続ける仲正昌樹。そんな
彼が、他のアカデミシャンから異彩を放っているのは、学生時代から11年間統一教会に
入信していたというその経歴によってである。
本書は、彼が自身の幼少のころから、東大入学後にその統一教会に入信、その後脱会
して今に至るまでの「自分」について、ほとんど初めて深く語った自叙伝的著作だ。知己
の編集者によるインタビューを文章化したという。あくまで一般信者としてだが、当時の統
一教会の内部の様子や人間関係や日々の生活、組織構造やその教義についても解説し
ているため、かの団体一般についても知ることができる。さらに仲正が直に体験した東大
学内外での左翼系団体との衝突にももちろん触れられていて、一種のルポタージュでも
ある。
本書を読むと、著者の「二項対立」への諦念と警戒心というのは、この時代に地盤ができ
ていたのだろうなということがあらためてわかる。また、自分が何者で、何をなすべきかを
わからないというよくある若者の存在論的不安についての洞察は、実はこの次の著作で
ある『〈リア充〉幻想』に引き継がれている。
理路整然として大変よく「わかる」。なるほど、彼にとっての宗教体験とはこういうことだっ
たのだな、と。しかしだ。不思議なのは、ほとんど彼の知りうることをあけっぴろげなく書い
ているであろうにも関わらず、彼自身を「知った」という感覚が、その手ごたえが評者には
残らないのだ。それは当時の彼に対するというより、当時を語る今の彼に対する疑問のよ
うな気がする。一言でいえば、「冷めすぎている」のだ。たとえば、最初の院試で落とされ
た話など、一見すれば信教の自由を侵害にもなりかねないわけで、もっと情感があっても
いいはずなのに、恐ろしいほど淡々としている。本人は「謎なんてないよ」というかもしれな
いが、一読者からすれば謎は深まるばかりである。
彼についてわかったような、さらに謎が深まったような・・・
★★★☆☆
近年、現代思想関連の新書と入門書等で優良な仕事を量産し続ける仲正昌樹。そんな
彼が、他のアカデミシャンから異彩を放っているのは、学生時代から11年間統一教会に
入信していたというその経歴によってである。
本書は、彼が自身の幼少のころから、東大入学後にその統一教会に入信、その後脱会
して今に至るまでの「自分」について、ほとんど初めて深く語った自叙伝的著作だ。知己
の編集者によるインタビューを文章化したという。あくまで一般信者としてだが、当時の統
一教会の内部の様子や人間関係や日々の生活、組織構造やその教義についても解説し
ているため、かの団体一般についても知ることができる。さらに仲正が直に体験した東大
学内外での左翼系団体との衝突にももちろん触れられていて、一種のルポタージュでも
ある。
本書を読むと、著者の「二項対立」への諦念と警戒心というのは、この時代に地盤ができ
ていたのだろうなということがあらためてわかる。また、自分が何者で、何をなすべきかを
わからないというよくある若者の存在論的不安についての洞察は、実はこの次の著作で
ある『〈リア充〉幻想』に引き継がれている。
理路整然として大変よく「わかる」。なるほど、彼にとっての宗教体験とはこういうことだっ
たのだな、と。しかしだ。不思議なのは、ほとんど彼の知りうることをあけっぴろげなく書い
ているであろうにも関わらず、彼自身を「知った」という感覚が、その手ごたえが評者には
残らないのだ。それは当時の彼に対するというより、当時を語る今の彼に対する疑問のよ
うな気がする。一言でいえば、「冷めすぎている」のだ。たとえば、最初の院試で落とされ
た話など、一見すれば信教の自由を侵害にもなりかねないわけで、もっと情感があっても
いいはずなのに、恐ろしいほど淡々としている。本人は「謎なんてないよ」というかもしれな
いが、一読者からすれば謎は深まるばかりである。
彼についてわかったような、さらに謎が深まったような・・・
★★★☆☆
近年、現代思想関連の新書と入門書等で優良な仕事を量産し続ける仲正昌樹。そんな
彼が、他のアカデミシャンから異彩を放っているのは、学生時代から11年間統一教会に
入信していたというその経歴によってである。
本書は、彼が自身の幼少のころから、東大入学後にその統一教会に入信、その後脱会
して今に至るまでの「自分」について、ほとんど初めて深く語った自叙伝的著作だ。知己
の編集者によるインタビューを文章化したという。あくまで一般信者としてだが、当時の統
一教会の内部の様子や人間関係や日々の生活、組織構造やその教義についても解説し
ているため、かの団体一般についても知ることができる。さらに仲正が直に体験した東大
学内外での左翼系団体との衝突にももちろん触れられていて、一種のルポタージュでも
ある。
本書を読むと、著者の「二項対立」への諦念と警戒心というのは、この時代に地盤ができ
ていたのだろうなということがあらためてわかる。また、自分が何者で、何をなすべきかを
わからないというよくある若者の存在論的不安についての洞察は、実はこの次の著作で
ある『〈リア充〉幻想』に引き継がれている。
理路整然として大変よく「わかる」。なるほど、彼にとっての宗教体験とはこういうことだっ
たのだな、と。しかしだ。不思議なのは、ほとんど彼の知りうることをあけっぴろげなく書い
ているであろうにも関わらず、彼自身を「知った」という感覚が、その手ごたえが評者には
残らないのだ。それは当時の彼に対するというより、当時を語る今の彼に対する疑問のよ
うな気がする。一言でいえば、「冷めすぎている」のだ。たとえば、最初の院試で落とされ
た話など、一見すれば信教の自由を侵害にもなりかねないわけで、もっと情感があっても
いいはずなのに、恐ろしいほど淡々としている。本人は「謎なんてないよ」というかもしれな
いが、一読者からすれば謎は深まるばかりである。
昔を振り返えさせられた
★★★★☆
今まで統一教会に関する批判的な書物はいくつか目にしていたが、このように個人の経験をそのまま記したものは初めての出会いだった。かつ、基本的に個人の歩みとそこでの気持ちの流れであるため、全くの他者にはどれほどのものが伝わるのかは疑問だ。かつ、文面からはそれほど読者に伝えんとする意思もなさそうだった。あくまで自身の気持ちの吐露といった感じだ。他のレビューが非常に客観的に内容を説明するものばかりなのは、そのためだろう。
が、実は私も著者が入信する前の約5年間、統一教会にいた。そのため、記されていた内容と思いがほとんど同じようなものであったことを知らされる。ただ、著者のようにとがってはいなかったし、もう少し穏やかな信仰の中にあったように思う(そんなに強くなかったのだ)。あの頃そうだったなあと振り返えさせられた。
まあ、これは出版社の一企画として受け止めるにしても、最後に一つ。内容には著者自身しか登場していないということだ。家族を始めとして多くの人達が周囲にいて、様々な思いがあったに違いない。それらが全く記されていないし、著者の意識の中にない感じだ。世の中が数え切れない人達の営みによってある中でのご自身を記してほしかった。
思想史・社会哲学研究者Nの半生とある新興宗教の交叉
★★★★☆
本書は、論壇で活躍中の著者が、大学入学後11年半の統一教会体験から自らの半生を振り返り、その意義やさらに広く今日の日本人の宗教(観)との関わりなどを論じたものです。
統一教会については「胡散臭い怪しい集団」というくらいのイメージ(偏見?)しか持ち合わせていなかったものの、評者が本書を手にした動機の中に、一般的な意味でのスキャンダラスな興味というのもあったことは否定できないのですが、本書はそのような興味に応えてくれる内容ではありません。
「騙されていた」と統一教会を糾弾しているわけでもなければ、統一教会の側に回って被害者(?)やマスコミなどの教会批判に反論しているわけでもなく、内部告発本という趣の内容でもないのです。
中立的というより、良くも悪くも著者個人の体験を踏まえての語りであり、それを大きく逸脱して統一教会なるものの「実態」を議論したものではないので。
というわけで、スキャンダル好みの向きには本書はチョッピリ期待ハズレとも言えるのですが、評者が最近本で出会った中村修二氏(青色発光ダイオードの発明者)の図太さと対照的な著者のデリケートな等身大の肖像(?)に触れることができましたし、「居場所」・「絆=共同性」・「承認」などの視点から宗教というものを捉え直し、「無宗教な日本人」の日常との関わりについての議論はやはり面白く読ませていただいたので、★4つとしました。