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まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 晶文社
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哲学的メルヘンの世界を楽しむ ★★★★★
 個人的読書体験としては、ミヒャエル・エンデ作『モモ』以来の、哲学的メルヘンといえた。物語の展開じたいも面白い。北イタリアの海ぞいで、後背に森林のある町で少年時代を送ったというこの作者の、植物や虫・動物たちとのつきあいの蓄積が随所に感じられ、また青年パルチザンとしてドイツ軍との戦闘を経験した、戦争の暗い影も全編に漂っている.最終的には、領主である子爵との結婚に至ってメデタシとなる、山羊とあひるを友とする可愛い娘パメーラの存在がなければ、通してやや陰惨な色調で彩られてしまったであろう.
 18世紀のキリスト教徒対オスマントルコの戦争を時代背景にして、戦場でメダルド子爵は、砲弾によって体がまっぷたつとなり、奇跡的にその半身それぞれが生き延びることになる.悪の心をもった《悪半》は、テッラルバの領主として、逆らうものをただちに処刑したり悪逆非道の支配を行う.いっぽうの半身《善半》は慈愛の心をもち、救出されて故郷に帰り放浪の身ながら領民や難民のユグノー教徒らに手を差し伸べるが、その一方的な友愛と厳格な道徳の強制は、しばしば人びとを苦しめる結果を生んでしまう。引き裂かれた善悪のこころ、これがこの作品の主題であることは明瞭である.半身が互いの影であるとの捉え方は、『啓蒙の弁証法』(岩波書店)の、厳格主義のカントと徹底快楽主義のサドを相似として考察する視点を思い起こさせる.
 子爵の甥の少年の語りで展開されるこの作品には、多彩な登場人物がいて、それぞれ考えさせる.とくに、《悪半》の依頼で次々と処刑と拷問の機械をつくり出す大工のピエトロキョードは、注目したい人物だ.技術の進歩革新と戦争の歴史的相互関係を暗示する存在である.
「それで車大工は、もしかしたら善い機械をつくることは人間の力を超えているのではないか、と疑うようになってしまった.なにしろ、実際につくり出されて、正確に動く機械は、絞首台や拷問台ばかりのような気がしてきたからだ.じじつ、《悪半》がピトロキョードに新しい機械のヒントを与えただけで、親方の頭にはすぐにそれを実行する方法がうかんできたし、ただちにその仕事に取りかかることもできたし、またどんなに細かい部分もまちがいなく完全につくりあげることができた.そうしてできあがった道具は、彼の技術と才能のみごとな結晶であることが、明らかだった.」(同書・河島英昭訳)
 《善半》メダルドが、丘のユグノー教徒らと「いっさいの暴力といっさいの過激な行動とを否定する点で意見の一致をみた.たしかに両者の意見は一致した.が、どことなくそらぞらしい気配も残った」とあるところも印象的である.宗教とは、たんなる善意や友愛ではなく、歴史的に形成された制度=行動様式であることを、ここで再認識しなければならない.医者=科学者トレロニー博士の手術によって、メダルドは完全な身体を取り戻し蘇るが、博士は迎えにきたキャプテン・クックの船団とともに消えてしまう.「責任と鬼火とに満ちたこの世界に」語り手の少年は残されてしまう結末である.
まっぷたつの子爵 ★★★★★
一つの価値観だけでは生きていけない。

オスマントルコとの激戦の際砲弾を受け、身体が左右真っ二つになってしまった領主(子爵)身体のみでなく心も善悪でまっぷたつとなり、二つで一人の彼(半分悪と半分善)が領地で巻き起こす大騒動を描いた皮肉たっぷりのメルヘンである。
物語は彼の甥である少年によって語られる。

半悪は人を悪事で苦しめ、半善はその善意がまたまた領民を混乱させる。
人は悪のみではもちろん生きていけないが、又善も人を苦しめるという事。

子爵のみでなく他の登場人物の様々な面を見せる。
そこには単純な悪も明確な善もない、非常にクリアでわかりやすい筆致ながら多くのメッセージを含んだ作品。
異なるイデオロギー ★★★★☆
「われらが先祖」三部作の第一作です。

トルコ軍との戦いで受けた砲弾により、左右まっぷたつに引き裂かれてしまった子爵の物語です。右半身は良心の呵責を感じることのない完全な悪であり、左半身は誘惑に屈することの無い完全な善です。相反する主張を持った個々の存在である右半身と左半身、彼等が引き起こす騒動が、子爵の甥である少年の目を通して淡々と描かれています。

まっぷたつに引き裂かれてしまった子爵が異なるイデオロギーの象徴だとすれば、物語が描いたものは子爵本人というよりむしろ、子爵を目にした人々であると思います。つまり、どちらの主張にも理解を示しながら、常に生じる迷いのために曖昧に選択の決断を避け、どんな理想郷も実現できない人々を描いているのではないかと思います。迷う人々を断じることはせず、むしろ肯定し、中庸であることを良しとしている点に、作者の大きな意図があるように思います。

善悪の彼岸 ★★★★☆
善も悪も、ともにとっても迷惑な存在だということに気づかされた名著。善者も悪者も自分は絶対的ないいこと悪いことを行って行動しているようだけど、一般のわれわれにとっては、平衡感覚の欠けた変人であると同時に、善悪を強要されると息が詰まってしまうのだ。でも、知らず知らずのうちに自分の価値観を、他の人にいろんなものを押し付けて生活してしまっている自分に愕然としてしまったのだ。
それにしても、なかなかグロテスクな表現には戸惑いを感じたのも事実。これを読んで、結構楽しめる、と言った人にはちょっと賛成しかねます。これもメルヘンなんて言われても、何か戸惑ってしまいました。

それと、私が読んだのは第4版ですけど、一部誤植を発見(P74)したのは残念。責了前にしっかりチェック、お願いしますよ!