「エンヤが好き」的な動機で手に取ると火傷しそうな一冊
★★★★☆
エンヤやリバーダンスを始めとして日本でもどちらかと言うと
ヒーリング系/脱西欧文明の取扱をされてきたケルト文化。
本書はそういった、アイルランドを中心に「復興した」ケルト文化ではなく
古代ケルト人の実際の活動範囲であるフランスはブルターニュ地方を中心に、
ケルトブームを歴史的に概述している。
要はひとくくりにされてこられた「ケルト的」なるものを
分解叙述していこうとする試みであり、意欲的・精緻ではあるが
「エンヤが好き」的な動機で手に取ると火傷しそうな一冊である。
ケルト人はどこにいったのか?
★★★★☆
「ケルト音楽」というジャンルがある。1980年代の終わり頃、欧州でケルト文化の再評価にともない脚光を浴びて日本でもヒーリング音楽として親しまれてきた。小生の手元にもEnya、Celtic WomanなどのCDがあるが、いずれも温かく幻想的で、昔から馴染んでいるアイルランド民謡の調べに通ずるものがある。そしていつの間にかケルト音楽あるいはケルト文化というとアイルランドの独占物のようなイメージができている。
一方、塩野七生の「ローマ人の物語」を通読してきた読者はケルト人というと、ガリア(現在のフランス)の住人を想起するだろう。欧州南部は嘗てケルト人の地であったが、ローマ帝国の版図に組み込まれた。その後、ゲルマン人の侵入により、(西)ローマ帝国が崩壊すると、今度はゲルマン人の波に取り込まれた。いったいケルト人はどこへいったのか? そしてアイルランドはなぜケルト文化を継承しているというのだろうか?
本書は巨石文化のヨーロッパから歴史を説き起こす。そして現代に至るまで文化の経緯を丁寧に見ていく。そして最後にケルトとは何かに戻るが余り明確な答えは得られない。ケルト文化とはヨーロッパ文明を形作る源流の一つとして理解すべきなのだろう。そしてアイルランドにおけるケルトの位置づけは国のアイデンティティと関わっているのであろう。
いささか詳細で手強い内容の本であるが、「ケルト音楽」あるいは「ケルト文化」のどちらかに興味がある人に是非、読まれることをお勧めしたい。
結局ケルトって何か分からなかった
★★☆☆☆
ケルトって何となく興味があったので買ってしまいました。そんな私には本書はちょっと専門的過ぎたようだ。
本書によると、いわゆる「ケルト」はアイルランドなどのナショナリズムにゆがめられた言葉で、本来のケルトはブルターニュ地方にある、と言うことだ。それで、北西フランスとその周辺の通史、古代から近世まで、が概観されていて、その中のケルトの位置づけ、ケルトの言葉の由来や、ガリアなどの類似語との比較がなされている。私には大変煩雑であまり興味を持てなかった。地名も原語主義、原時代主義でいろいろ出て来て、括弧書きで関係を示してあるものの、混乱した。かなり予習をしていないと分からんだろうなあ。私が想定読者ではなかったからなんでしょうが、『興亡の世界史』全21巻の1巻としては、専門的にすぎると言うか不親切ではないだろうか。しかも、裏表紙にはストーンヘンジでの「ケルト」の儀式の写真を使っているし、ちょっと羊頭狗肉だよなあ。タイトルの『ケルトの水脈』だって、現代のヨーロッパ文明がケルト文化(どっちの意味でもいい)と繋がっているのか、という話を期待させるのに、説得的な話は出てこない。
ただ、私は本書を読んで著者が亜流だと言う「ケルト」というのが却っておぼろげに見えたように感じたことがある。それは、ブルターニュのキリスト教がイングランドやアイルランドから聖人が渡って来て広がったと書いてあった点だ。アイルランドにキリスト教が先に広まり、地元の習俗と習合して独自のキリスト教文化を作っていた(ケルト十字はその象徴)。そのキリスト教が東向きに広がる伝道経路が、ラテン的な文化伝播との対比で異質なもとのして認識されて、我々はケルト的と感じているわけなのだろう。
まあ、所詮、無学な素人の妄想、本書の圧倒的な事実の羅列の前にひれ伏すしかないが、その事実の積み重ねが「ケルト」をあぶり出すこと成功していないのは残念だ。
ケルトファンも、そうでない人も
★★★★★
もともと凄く怪しげで、マニアの専有物になりつつある感じの「ケルト」について、たぶん日本では初めてきちんと歴史学的に整理し、論じた本だろう。(あくまで「一般書としてたぶん」だが。)
そもそも「ケルト人」とはどこの地域のいつの時代の人々なのかをまず明らかにし、その上で、現在のアイルランドを中心にイメージされている「ケルト圏」の生成を語っていくという構成はちょっと複雑だが、中世にはすっかり歴史の彼方に忘れ去られた「ケルト」が、近代に「復活」してくる過程を明らかにする後半部分は、とくに読み応えがある。
フリーメーソン団体の仕掛け人がケルトマニアだったり、ナチスの思想と「ケルト」が結びついたりするエピソードも興味深い。「ケルト・ブーム」というのは「近代批判」のイデオロギーとして流行ってきたものと思っていたが、なんのことはない、近代ナショナリズムの双生児、いや、近代ナショナリズムそのものだということで納得できた。
また、単に「ケルトの通史」にとどまらず、土着の文化と、キリスト教やローマ文明のような普遍的な文化とがどのように混ざりあうか、AとBの二つの文化が出合った場合に、どんな時にAが優勢になり、逆にどんな条件でBが優位に立つか……という興味深い問題にも触れており、これは「歴史」というものについての非常に重要なテーマを含んでいるのではないか、と思った。
そのため、さらに複雑な構成になっており、聞きなれない人名が大量に出てくることもあって、読みにくい本ではあるが、その可能性とオリジナリティを感じさせてくれたことを買って、五つ星。「ケルトファン」もそうでない人も、読んでみる価値があると思う。
今もヨーロッパ文明の底流を流れるケルトの息吹
★★★★☆
本シリーズ「興亡の世界史」は現在につながるキリスト教やローマ文化が浸透する以前のケルト文化について一冊を割いている。
ヨーロッパの基層であった彼らの文化はいかに歴史の表舞台から消えながらも、その息吹を残し続けたか見ていく。アーサー王の伝説やブルターニュの文化、アイルランドの「ケルト・ブーム」を軸に展開し、現代のケルト文化の復興までを追う。
これまであまり採用されなかった視点が斬新で、地図や写真も興味を引くものばかりだ。ヨーロッパ文化への新しい視点や知見が得られるに違いない。