最後のプロットもまた、清々しくて、健康的な雰囲気で書かれているので、そのまま読み流そうとして、完全にひっくり返された。読み終えて、本を閉じた後も、なぜかが理解できず、混乱の中で、何かの間違いではないかと思いたくなるほど、動揺し続けた。
この最後のプロットがなければ、何度も翻訳され続けるほど、有名になるような小説ではないし、また、逆に言えば、この最後の展開のためにのみ、全てが書かれたのだろう。
高校生のとき、女性って、一体、何だろう、と考え込んでしまった一冊だった。