宣伝文と内容の乖離
★★★☆☆
もともとは、幕末期における王政復古との関係で天皇制がそれ迄綿々と生き長らえた理由を、その始原の姿(中世天皇制=政治的権威と権力の二重構造の成立)に遡って理解するための一助になればと思い、「権力を握った幕府(武家政権)はなぜ朝廷を滅ぼさなかったのか」との宣伝文句に絆されて購入したのだが、期待は裏切られた。(事実の羅列はそれとして、個人的には上問に関するひとまとまりの統一的理解のための枠組み(説明)がほしかったのだが・・・。尤も、これは著者の責任ではない。)
断片的には例えば、「公共の福祉を実現するための装置が整備されていない社会にあっては、(飢饉などの非常時に)人々の願いを結集し、形にしてくれる(朝廷が行なう)公事には、現実的な需要と役割が存在したのである」(174頁)、幕府は独自の公事を創出できなかった(176頁)、将軍は京都から派遣され20年ごとに送還された(232頁)、悪党禁圧手続の成立に関連して「得宗や執権が、公家政権への対応の方法を曖昧にしている間に、公家側は、幕府のもつ強制力を、公正な秩序回復機能としてみずからの領域に引き入れる手続きを完成した」(317頁)等といった記述は大変参考になった。(それにしても、万世一系への疑念を述べた天皇がいたとは知らなかった(花園天皇『誡太子書』、339頁)。
著者の記述振りは大変丁寧で好感が持て、随所にキラリと光る発見も見られるように思うが、一方で形式的人間関係についての教科書的な説明が多く、読み物としての面白さからはやや遠かったような気がする。
網野以後をどう創るか
★★☆☆☆
「時間の流れや世代の交代が民衆レベルにまで意識
されたことこそが、中世社会を開き、発展させる原動力と
なったのである。」(「はじめに」)
「中世前期の政権において、王者であることは政治的
実力の有無とは必ずしも一致しない。また、権力の概念
が、近代以降におけるそれとは大きく異なっているよう
にみえる。」(「第一章 中世の成立」)
このように、序盤は快調です。しかし、他の同種本と同
様、通史部分にこのようなモチーフが十分生かしきれて
いないうらみが残ります。最後にまた、注目すべき記述
があります。内藤湖南の有名な応仁の乱についての評
価を引きながら、こういいます。
「近代日本を知るためには、応仁の乱以後の歴史を知
っていれば事足りるかもしれない。しかし、現代について
考えるためには、応仁の乱以前にさかのぼる力が必要
である。」
賛成です。だからこそ、なおさら通史本文にそのモチ
ーフを思い切り書き込んでもらいたかったと思うのです。
いぶし銀の面白さが弾けてます。
★★★★☆
蒙古襲来をこれほど淡々と記述した歴史の本は珍しいのではないでしょうか。
京と鎌倉、天皇と武家政権がどのように両立してきたのか、
徳政令とは何だったのか
悪党とはどういった人たちだったのか、
派手な太刀まわりを除いてみた歴史に面白さが宿っています。
全集日本の歴史を第3巻までを読んでの印象として
“政治史といった特定の人びとから説き起こす歴史書”を超えようという本シリーズの
コンセプトを強く感じましたと書きました。
第6巻までを読んでの印象をここに書けば、「首尾一貫しています。」です。
これから先も楽しみです。
“天皇”ではなく“国王”
★★★★☆
巻の最初に紹介されています「後三年合戦絵巻」にガツンとやられますね。
刃の先に生首突き刺して、意気揚々と引き上げる武士たち。
とても、とても江戸時代の武士道武士のイメージとは重なりません。
やはり、思い込み・刷り込みなんでしょうね。
疫病、災厄、侵略、外敵の鎌倉時代、その時代の空気から、人は何をどう考えたのか、
本当に想像力が要りますし、逆に事実を検証することで、人は何をどう考えたのかが
明らかになるのでしょうね。
読後に何か、時代が足踏みしたかのようにも思える鎌倉時代、
歴史の感覚を新たにできたように思います。
確かにこの時代にもご先祖様は生きていらした。
どうくらしていらしたのか、どうあれ、どうあれ、今がある。