闘争の布教史
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後の島原の乱で知られるように、戦国時代の日本で最も濃厚に
キリスト教を受容したのは肥前・肥後の西部地方でした。
フロイス日本史全12巻のうち9〜12はまさにこの地方が舞台となっており、
キリスト教布教史を知る上で最も興味深いパートとなっています。
本巻はコスメ・デ・トルレス布教長の時代の記録。
横瀬浦、五島、口之津、島原、志岐、崎津などを拠点として
布教が進んでゆく様子が記されています。
トルレスは適応主義を掲げて大きな成果を挙げたことで知られています。
その方針は本書の記述からも僅かながら窺い知ることができ、
日本の価値観・習俗を重んじながら布教を進めた彼の先見性が感じられます。
しかし初期の布教の成功は、穏便な方針によるものだけでなかった事は明白です。
まず布教の成否がポルトガル船のもたらす利と不可分の関係にあった事。
貿易による利は無論の事、時には戦争の局面において、
ポルトガル船の砲が援護の弾を放っていることも窺われます。
彼ら宣教師はその利をちらつかせながら、まず領主層を教化する事で政治的に寺社勢力を抑え、
下層に教線を拡大してゆく大方針を敷いています。
彼らの急激な伸張が軋轢を生まぬ筈はなく、諸方で叛乱が起きます。
フロイスはまるで教会側が一方的な被害者かのように描きますが、
彼らとて仏教寺院を焼く事に全く躊躇していません。
この闘争的なイエズス会の布教方針は、宗教改革以後のローマ教会の立場を
紐解いてみなければ理解する事はできないでしょう。
中央から見れば辺境であったかの地は、西欧から見れば大きく口を開いた入り口でもありました。
秀吉の天下統一がなる以前、地方で行われた闘争の歴史は、
日本のその後には幾つもの可能性があった事を語っています。