克服できなかった中世的権威
★★★★★
中公文庫が刊行する完訳フロイス日本史全12巻のうち、大友宗麟編の第3巻。
耳川の戦いで頽勢に傾く中、宗麟が亡くなり、嫡子吉統の代に大友氏が改易されるまでの記録。
秀吉による棄教令の中、大友氏は苦境に陥ります。
家を保つためにはキリシタンを弾圧せねばならず、
しかし強硬策に出れば内乱勃発の恐れがあり、煮え切らない家中。
キリスト教に帰依する宗麟と、棄教した吉統の、長年に渡る二頭政治の矛盾が顕在化する様が読み取れます。
逸早くキリスト教を受け入れ、それと不可分の関係にある南蛮交易の利も活かし、
一度は九州北半の覇者となった大友氏。
その没落の生々しい様子は、新たな支配体制を夢見ながら、
中世的権威のしがらみを克服できなかった名門大名の限界が読み取れます。
フロイスの記述はキリスト教徒的精神主義に傾いてはいますが、
鋭敏な政治感覚を持っていた彼のこと。
大友氏の没落とキリスト教弾圧は、50年に渡る布教活動の末の、
政治的敗北であったことに勿論気づいていたことでしょう。
信長、秀吉、家康と引き継がれてきた天下は、
キリスト教を排除し、寺社勢力をその傘下に手なづけることで新たな支配体制を組む道筋を選びました。
幕府が選んだイデオロギーは儒学であり、以後明治維新を迎えるまで鎖国の中の封建体制が続いてゆきます。
地方大名の辺境史とあなどるなかれ、日本史上の画期となった一時代の記録に、興味は尽きません。
戦国大名大友宗麟の稀有なキリスト教帰依−ひたむきさに心打たれる
★★★★☆
豊後の戦国大名大友宗麟がキリスト教の信仰を守り、キリスト教を広めることに腐心する。大友氏そのものは薩摩の島津氏の豊後侵略により弱体化していく。人間大友宗麟の壮大なドラマとして感動するところがある。
1580年代頃のことでありながら、現代感性と通じるものがあるのも不思議である。キリスト教の司祭たちとの交流も人間的であり、嘗ての戦国時代にもこうした人間の繋がりがあったことで救われるように思う。大友宗麟から国主を継いだ嫡子大友吉統は宗麟の意に反しキリスト教の迫害に動くことになる。いつの時代も親の意にならない家族の系譜がそこにある。宗麟の死を語る第72章は死の間際までキリシタンとして全うした宗麟の姿が印象的である。「主なるデウス様は、国主(宗麟のこと)がもし、その後まもなく生じる幾多の労苦や関白の司祭やキリシタンたちに対する迫害を知れば、どんなにか悲しむことになるので、国主がそれを見ないようにと先立って御許に召したもうたのでありました。」
崩れ行く豊後国
★★★★★
筆マメなポルトガル人宣教師のルイス・フロイスの著作本シリーズ。この時期に実際にルイス・フロイスが豊後国に住んでいただけに当時の事件内容は非常に詳しい。この本では、九州探題まで登りつめた豊後国王・大友宗麟の晩年期と、その息子である第22代当主・大友吉統をはじめ、大友家の子孫の生き様を記している。この本の中でもっとも注目すべきは、大友宗麟が衰弱し亡くなる前から埋葬されるまでの様子を第七十二章で非常に詳しく記している事。キリシタン大名・大友宗麟に興味にある方には是非オススメしたい。また、ルイス・フロイスが父親の大友宗麟と棄教した息子の大友吉統に対する評価の差を見ると、当時の南蛮伴天連たちの性格がどうだったのかも読者にはよくわかるのではないかと思う。