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完訳フロイス日本史〈11〉黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国―大村純忠・有馬晴信篇(3) (中公文庫)

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カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論新社
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巡察師ヴァリニャーノが訪欧少年使節4人と共に長崎に来日した記事は、興味深い。 ★★★★☆
1590年7月、巡察師ヴァリニャーノが訪欧少年使節4人と共に長崎に来日したことが、第86章に書かれている。その少年使節4人とは、ローマに赴いた(伊東)ドン・マンショ、(千々石)ドン・ミゲル、(原)ドン・マルチノ、(中浦)ドン・ジュリアンである。入港2日目には、キリシタン大名である大村純忠の息子(喜前)が従兄弟の(千々石)ドン・ミゲルや仲間を訪ね、3日目には有馬晴信達がこれら少年使節を訪ねたとある。

「巡察師と4人の貴公子、およびその他イエズス会員たちの、この渇望されていた到着は、ただに我らの同僚のみならず、全キリシタン宗団に、あたかも天空から新しい光がさしこんで来たような慰安と喜悦をあまねくもたらした。」とある。少年使節の一行は、8年前に日本を出発した時よりも大いに成長し容貌が変わっていたので、訪ねてきた大村喜前達は、(千々石)ドン・ミゲルをはじめ帰国した他の少年使節たちを識別しなかったし、使節の一行も幼い時にその従兄弟たち一族と別れたので彼らを見覚えていなかった。キリシタンたちは彼ら一行が語ることを聞くのを大いに喜びとし、しかも最も肝要なことは、一行の談話を信用したことにあった。

なお、日本副管区長ガスパル・コエリュ師の逝去と有馬での同師葬儀のことが、第89章に記されている。ガスパル・コエリュ師は、ポルトガル出身、イエズス会に入り24年、日本に派遣されて18年になり、1590年に加津佐村にて62歳で逝去した。