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山下奉文―昭和の悲劇 (文春文庫)

価格: ¥560
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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アナタにとって、英雄って何ですか? ★★★★★
本書の単行本を初めて読んでから、早くも数年経った。
その間、本書を再読するようなことは無かったし、内容も殆ど覚えていなかった。
しかし、本書冒頭に書かれていた、以下の文章だけは不思議と心に残っていた。

「山下奉文が、英雄だとするならば、戦後には英雄はいない。
ヒーローと、片仮名書きにできるような人はいる。
/だがまた、彼らは、山下奉文が英雄であるという意味では、英雄ではない。
/大衆が己の夢を託し、ともに喜び、ともに悲しむ、輝ける偶像。」17頁)

改めて戦前の新聞や史資料を見てみると、山下という人物がどれほど大きく取り上げられているか分かる。
この人物を戦後私たちは無意識の内に忘れようとし、さらには英雄という言葉の意味さえも忘れようとしてきたのでないか。
このことを強く意識したのは日本テレビの「ニッポン人が好きな偉人ベスト100」という番組を視聴した時だ。
軍人が少ない。いないわけではないが、少ない。しかも、上位にランクインしない。
英雄編で53位に山本五十六、32位に東郷平八郎。これだけである。
栗林忠道が惜しくも漏れた様だが、これは映画(「硫黄島からの手紙」)の影響に過ぎない。

30位以上を見てみると、この確信は益々強くなる。
果たしてモーツァルトが英雄だろうか。坂本九が、エジソンが英雄だろうか。
私たち日本人にとって、「英雄」とは何なのだろうか。

本書副題「昭和の悲劇」とは何だろうか。山下の人生が悲劇なのではない。
戦後日本人が山下や、乃木、石原を忘れてきた、忘れようとしてきたことが悲劇なのだ。
単なる評伝ではなく、戦後世代への問題提起として、著者の切り口に深く感心した。
新しい視点を提案するチャレンジだが。。。 ★★★☆☆
買って読んで損は無い。というのは、著者は、普通、流布している知識や、知識の前提みたいなものを、全部知っているうえで、珍しい事実を示して語る、博学にして視点がユニークな人だからだ。本書でもタイトルロールを中心に、太平洋戦史の多くの事実を教えてくれる。でも、山下奉文が果たして語るに値する人物だっただろうか、と首を傾げざるを得ない。著者としてはきっと、左翼の自虐史は論外としても、司馬遼太郎的な「明治は偉かったが昭和は馬鹿だった」式の昭和史観が、かなり根強いことに不満を覚え、別な史観を示そうという意図があると思う。「非西欧」で、資源的にも国防的にも非常に貧弱な環境にある日本の宿命を直視しないで、過去の失敗を「愚か」のせいにし、事後的な道徳的反省で涼しい顔をされては大いに國を誤る、という著者の懸念は分かるような気がする。でも、自身の石油の供給国・米国と戦争をするその発想は異常だし、ワシントンブリッジやクライスラービルなど当時の米国の圧倒的な物量と生活水準を知っていたエリートは日本には少なくなかった筈なのに、戦争してしまう異常さ。日露戦争当時と大差無い、陸軍の装備の貧弱さ。なのに著者は当時の軍人のエリートは、他分野のエリートより技術的な知識をわきまえた上で他国と自国を比較できる相対的に優れた集団と言い、山下をそのなかでも最良の部類と見ているようだ。山中で、重傷を負った部下に暴行を重ねてしまう山下に、異常な配慮を示す著者の判断も共感できない。山下の悲劇的な立場も分かるが、多くの一兵卒や国民は同じく悲劇的だったはずだ。石原莞爾に就いても特別な配慮で語る著者だが、石原の著作を読めば才気はあるがどうみてもご都合主義の書生の議論にしか思えなかった。著者の判断が良く分からない。
乃木の明治、山下の昭和 ★★★★★
山下は文句なく「昭和の英雄」である。
ただ、組織に生きる者として、組織の論理の中でこそ評される英雄であった。
明治の乃木と比べたとき、その差は歴然としている。
滅びゆく敵軍に対しても深い悲しみと慈しみをもって接した乃木と、
敵軍の将校相手に、喜々として机を叩き「Yes or No?」と迫る山下とを見比べた時、
「有能さ」などでは量り得ない、乃木の「徳」の大きさに明治を、山下の「組織の論理」に昭和を、著者は思い浮かべるのである。
何よりも山下本人がそのことを、つまり乃木に比べて結局は職業軍人である自分の小ささと、
そうでなければ「英雄」にはなり得ない昭和陸軍の限界とを、痛いほどにわかっていたのだろう。
本書を読むと、昭和の山下が英雄であり、明治の乃木が無能の将であったと結論付けた平成の世にこそ、暗澹たるものを感じる。
福田氏は、そのような大きな近代日本史の書き換えを、保田與重郎、江藤淳などの成果を踏まえながらも政治的運動ではなく、一人の文学者として声低く、独力で達成しようとしている。

乃木と山下、明治と昭和 ★★★★☆
山下は文句なく「昭和の英雄」である。
ただ、「組織に生きる者」として、組織の論理の中での英雄であった。
明治の乃木と比べたとき、その差は歴然としている。
滅びゆく敵軍に対しても深い悲しみと慈しみをもって接した乃木と、
敵軍の将校相手に喜々として机を叩いて「Yes or No?」と迫る山下とを見比べた時、
「有能さ」などでは量り得ない、乃木の「徳」の大きさに明治を、
それに替わる山下の「組織の論理」に昭和を、著者はそれぞれ思い浮かべるのである。

何よりも山下本人が、そのことを、つまり、乃木に比べて結局は職業軍人である自分の小ささと、
そうでなければ「英雄」にはなり得ない昭和陸軍の限界とを、痛いほどにわかっていたのだろう。
本書を読むと、昭和の山下が英雄であり、明治の乃木が無能の将軍である、
と結論付けた今の平成の世に、暗澹たるものを感じる。
福田氏は、そのような大きな近代日本史の書き換えを、保田與重郎、江藤淳などの成果を踏まえながらも
政治的運動ではなく、一人の文学者として声低く、独力で達成しようとしている。

石原莞爾、乃木希典と連なる福田氏の評伝。
続けて読むと、「昭和と昭和天皇」の姿がうっすらと浮かんでくる。
福田氏はおそらく、昭和天皇を終着点に見据えて、一連の軍人について筆を進めているのではないか。