「おもかげ抄」
途中で、こういうことだなとはわかるが、こういう結末をつけるとは思わなかった。
「三年目」
「さぶ」のようでもあり、「柳橋物語」のようでもある。
長編になりそうな素材を短編に使っていてもったいない気がする。
「風流化物屋敷」
山本周五郎が好んで書く、世の汚れを知らない武士の話。
「人情裏長屋」
腕が立ち、善意の固まりの武士。
長屋の住人として生涯を終えるのかと思ったら、やはり武士は武士として生きるのだった。
そういうところが、山本周五郎らしい。
「泥棒と若殿」
泥棒と、蟄居状態の若殿の交流。自分のためではなく、人のために生きなくてはならないという話。
「長屋天一坊」
講談調の小説。家系にとりつかれた家主と長屋の住人の騒動を描くユーモア小説なのだが、あまり後味がよくない。ここまで悲惨な目に遭わなくても、と思う。
「ゆうれい貸屋」
過去の因縁も何もなくいきなり幽霊が出てくるのがすごい。理由付けなどいらないのだ。
ゆれいを貸す商売という、奇抜なアイディアなのだが、それが生かし切れていないのが残念。
なんだか尻切れトンボの終わり方だった。
「すぐに賃上げストなんか始めるわよ」(p247)というせりふには驚いた。
「雪の上の霜」
あれっ、これは「雨あがる」ではないか、と思ったら、その通り、姉妹編だった。
人一倍優れた能力を持ちながら、善良でありすぎるが故に立身できないというのが、山本周五郎なのだ。
「秋の駕籠」
「三年目」と同じく、男同士の心の絆の話。
この本の中では珍しくハッピーエンドだった。
「豹」
なぜこの小説がこれに収められているのか、と思うような現代小説。
女は怖い、という話。
「麦藁帽子」
これも現代小説。「青べか物語」風。
そして二人の奇妙な共同生活が始まるわけだが、突然に2人の生活に
は終止符が打たれてしまう。「信さん、行ってしまうのか」という伝
九郎の嘆きは本当に痛々しい。
本書の短編小説を読み進むうちに日本人が遠い昔に忘れてしまった
生き様に強く胸を打たれる思いがした。
今となっては揶揄の対象ともなる“人情もの”ではあるが、忘れかけている日本人の心の機微を思い出させてくれる。殺伐とした今の日本にあって、「強さと優しさ」は日本人が取り戻さなければならないキーワードではなかろうか。この短編を読み終わったとき、何か暖かいものが心の中に残っているのに気付くはず。
人間愛などといった大げさなものではないにせよ、人としての心のあり方を教えてくれる、そんな一冊だと思う。