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告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

価格: ¥907
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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十八世紀フランス最大の思想家ルソーの赤裸々な告白の書。この波乱に満ちた物語は、ジュネーヴで時計師の息子として生まれたルソーの内気な幼少時代の回想にはじまる。
心を入れ替えるための長い時間 ★★★☆☆
本屋さんに行くと、ギリシャ哲学やデカルト以降の近代科学・哲学の著作は豊富で入手しやすいのですが、その間には膨大な中世思想の時代があるらしく、その初期の教父哲学は西洋思想史の流れを追ううえで避けては通れない分野だと思います。

アウグスティヌスは異教徒でしたが人生を経験するうち自分を超えた大きな力に曳かれるようにして、キリストを信仰するようになって行きます。

この告白上巻に書かれたアウグスティヌスの内面の苦悩や情熱とともに、母モニカをはじめ友や師匠らとの交流が描かれています。若き日の放蕩ぶりと彼の全身にみなぎる真理の探究心がちょっと自慢げに綴られていて身近です。

所どころで聖書からの引用が記されており、当たり前のことでしょうが、よく聖書を読んでいた人なのだろうなと実感します。博識とかというより、聖書の言葉に表現の美しさを求めているような気がします。

邪推ですがアウグスティヌスはイエスの奇跡によりも、伝道者パウロの思想内容に興味があったのではないでしょうか。アウグスティヌスはたぶん悩みぬいて異教徒から転向したように、母が愛したキリストを信じるための理論的な支えが欲しかったのでは?

聖書の言葉をただ伝えるだけではない、エリートとは違う叩き上げの思想家なんでしょう。
アウグスティヌスが読まれてきた理由はそんな人間らしさなのかな、と思います。

文体に関しては、あちこちで神を讃える記述が多く、すんなり入ってこない理解しづらさがあるのですが、訳文によるところというよりは、この著作を書き進めるために必要な、彼の精神の高揚を維持する方法だったのではないでしょうか。

本格的な聖書解釈は、この告白下巻に展開されていきます。

上巻ではアウグスティヌスが好き放題していたことが解る ★★★★☆
子供のころはワル仲間と畑のぶどうを盗んでは豚にくれてやり、長じては結婚しないで子供作ってしまうわ、結婚のじゃまだと子供の母親を捨ててしまうわ、カルトにはまるわ、さんざん母親を心配させるアウグスティヌス。「告白」なので、アウグスティヌスの思考が「どうして私はあんな恥ずかしいことを・・でもそれもやっぱり神様が益として下さって・・」てな具合に迷走、しかも悩み方がかなり哲学的。訳の言葉がわかりにくく、その苦悩が迫って来ないのが残念。とりあえず、教師だったアウグスティヌスが学生の無礼さに我慢できず諸都市を行脚する羽目になったり、プラトンにかぶれて共産共同体を作ろうとしたり、お話としておもしろい。アウグスティヌスと母親との関係に感動します。
33歳までの告白 ★★★★☆
アウグスティヌスが、神についてなど神学・哲学的なことに思いをめぐらせつつも、現在の視点で過去を語る本。
上巻では、幼少時代から33歳の時までを語っていく。子供時代、学問をおろそかにしたこと、
学問といってもそれは汚らわしいローマ神話などであったことを述べ、神に対するよりも文法の誤りに気をとられる人々を嘆く。
16歳で皆と一緒に盗みをはたらいたこと、演劇に熱中したこと、マニ教に惹かれていったこと、
盗みを共謀し、一方では慰めにもなる友人というものについて、さらに語る。
続いて、マニ教では説明がうまくつかなかったこと、同棲生活、ミラノ司教アンブロシウスとの出会いとカトリックの理解、
10歳の少女(!)との婚約、自らの思考を述べ、ついに洗礼を受けたこと、そしてまもなく母モニカが亡くなったことを述べる。
現在のカトリックとしての立場から過去の自分のあらゆる側面を告白し、弾劾しているが、
自分がどんなに堕落しても息子の洗礼を願い、息子のために祈り続けていた母モニカの姿がそこにはいつもある。
カトリックの厳しい目で自らを省みるため、現代日本に住む無宗教の人間からすると、驚かされることも多い。
本書は上巻だけで9巻に分かれており、さらにそのなかで細かく章に分かれているので、各章せいぜい数ページなので、
少しずつ読むこともできます。字は小さく、訳文は(原文が難解なのでしょうが)時折わかりにくく、
なぜこのように始まった文章がこのように終わるのか?と思わされることもしばしばでした。
『母と息子の物語』 ★★★★★
キリスト教への信仰にいたるまでの
山あり谷ありが赤裸々に綴られている

回心しようと思うが
何度も挫け
欲望に溺れ

大丈夫か?アウグスティヌス!

なんて、エールを送ってしまいたくなる
手に汗握る 彼の告白

母の思いが報われ
息子が信仰の扉を開けた時
役目を終えたと
死が2人をわかち
そして彼は神を信じる


(上)のラスト、第九巻からは
片時も目が離せない!!!
自由意志 ★★★☆☆
神の恩恵と原罪における問題はペラギウス論争に現れています。ペラギウス論争において、アウグスティヌスは原罪を肯定しました。時間と歴史とに介入してくる神の働き・現存を観想し、罪から回心しつつ神的生命に写りゆくことを志向すべきであると主張しました。対照的にペラギウスは原罪を否定しました。そして自由意志論を展開しました。人間には罪無しで有りうる「可能性」が神によって与えられており、これが神の恩恵であると主張しています。
アウグスティヌスは自由意志そのものを罪悪だと見なしています。(それが行過ぎているという意見も当時にはあったそうですが)それは、第十六章「悪は実体からではなく、意志の背反からおこる」というところに顕著に表れていると思います。

「こうしてわたしは、不義が何であるかをたずねて、それが実体ではなく、最高の実体である神からはなれて、卑賤なものにねじ曲げられ、「腸をさらけ出して」のさばり出た意志の背反に外ならないことを悟った」

この世界を基本的には肯定しています。それは第十二章「存在するものはすべて善である」から神が創造した世界は善であるという考えが理解できます。
それ以外においても人生を省みる形で、それはもちろんマニ教を信仰していたことも含めてですが、神への懺悔的な告白が語られています。ずっと内面を、あのトーンで語ることはかなり力のいることだと思います。問題意識は徹底して内面に向けられ、自分の生を神に結び付けて描き出す様がよく理解できます。親を亡くしたことや子どものころ悪いことをしてたことも叙述しており、人間的な側面も窺い知れる作品になっていると思われます。