スピリチュアリズムに、ヴィパッサナー瞑想の存在を見つけた!
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スピリチュアリズムに釈尊在世当時の教法が見あたらないのはなぜか?釈尊独創の教法は普遍的であり、東洋に限定されないものと考えられるからだ。四沙門果の悟りが欲界を越えた色界や無色界に至るため、欲界における死後存続を説くスピリチュアリズムの世界には顕現されない可能性はあるが。
果たして、その真偽はどうなのか?それを調べるため、釈尊が説いた教法をスピリチュアリズムの教えの中に見出す作業を始めて半年経過した。
本書の142頁に「歩くヴィパッサナー瞑想」が記述されているのを発見した時には、やっぱり、と納得できた。その部分を引用しよう。
“さて、そのとき私(ザブディエル霊のこと)はたまたま大聖堂への用事があったので、山道を通って行った。長い登り坂となっていたが、私はこうした時の常として、これから向かう仕事への準備のため、瞑想しつつ一歩一歩ゆっくり歩んだ。”