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戦争と平和 (3) (新潮文庫)

価格: ¥935
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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ナターシャの《若さという愚かさ》 ★★★☆☆
 第三巻は、1809年、10年、11年と駆け足で物語が進んでいく。戦闘の場面はない。主に語られるのは、アンドレイとナターシャの婚約とその破滅である。ナターシャが、なぜあのような卑劣な男に引っかかってしまったのか、私は今も納得はできていない。あえて理由をつけるとしたら、《若さとは愚かさである》ということくらいだろうか。とにかく、アンドレイとナターシャは不幸の底に落ちてしまったのである。
 一方ピエールは、第二巻で心酔したフリーメイソンの活動に幻滅し、贅沢で放埓な生活を続けることになる。しかしその間も、以前より彼を悩ませていた問題はつきまとう。

「……彼は多くの人間の、とくにロシアの人間の不幸な能力を身に味わっていた。それは善と正義の可能性を認め、信じ、それでいて、人生に真剣に踏み込めるためには、あまりにもはっきりと人生の悪と虚偽を見抜きすぎる能力だった。どんな仕事の分野でも、彼の目から見ると、悪や偽りと結びついていた。何になろうとしても、何をやろうとしても、悪と虚偽が彼を尻込みさせ、あらゆる活動の道をふさいでしまうのだった。……」

 ここで注目したいのは、作者はこれが「多くの人間の不幸」だと述べている点である。もちろんトルストイもこういう気持ちになったのだろうし、それが人間の普遍的な運命だということに、その優れた感覚で気づいたのだろう。
すらすら ★★★★★
とても読みやすい翻訳だと思います。ただ、原書の版の違いがあるのか、私の手許にある本と比べて所々に省略があります。この点に関しては批評出来るだけの知識も資料も無いので、その事実を書き留めることしかできません。

あと、第3巻の第4章半ばで、「五分後には通りには人がいなくなった」という段落の辺りで料理女が負傷します。工藤精一郎さんの訳ではバケツ(ведро)の破片で怪我したようになっていると思いますが、これは榴弾の破片で太腿(бедро)を怪我したというのが正しいのではないかと思います。原文を引用すると、Кухарку с бедром, разбитым гранатным осколком, снесли в кухню. もちろん、原書の誤植という可能性も否定しきれませんが、内容から見てもバケツはちとおかしいです。とはいえ、大変お世話になったこの翻訳をけなすつもりは毛頭ありません。
「皇帝は歴史の奴隷である」(トルストイ) ★★★★★
 この小説(『戦争と平和』)の中に、忘れられない一行が有る。それは、次の言葉である。−−「皇帝は歴史の奴隷である。」−−私が、『戦争と平和』を読んだのは、40代に成ってからであった。読み始めた時は、十代の頃に読んでおくべきだったと思ひながら、読んだのであるが、今思へば、40代に入ってから『戦争と平和』を読んだ事は、むしろ良かったと思って居る。もし、何も分からない十代の頃、この小説を読んで居たら、それはそれで意味が有っただろうが、例えば、この一行−−「皇帝は歴史の奴隷である」−−を読んで、稲妻に打たれた様な気持ちに成ると言った精神的体験は出来無かったと思ふからである。(十代の人間に、この一行の深さが分かるだろうか?)
 この一行の意味は、「皇帝」と言はず、全ての権力者は、自分の恣意で歴史で歴史を動かして居るのではなく、歴史が、権力者を動かして居ると言ふ事である。ナポレオンや、アレクサンドル皇帝だけではない。東條英機も昭和天皇も、ガンジーも吉田茂も、ラビン首相もシャロン首相も、そしてブッシュ大統領も、皆、歴史の奴隷なのである。その事に気が付かなければ、私達は、私達の時代を理解する事は出来無い。−−若い人は、トルストイのこの言葉(「皇帝は歴史の奴隷である」)の意味を、深く考えて欲しい。

(西岡昌紀・内科医/9・11テロから5年目の日に)
巻末年表を使って何度も読み返したい ★★★★★
 ナポレオン戦争を描いたトルストイの不朽の大作の新訳、第三巻は第二部の後半3,4,5篇を収める。フランスとの講和条約が結ばれ、表向きは友好関係が結ばれている時期である。物語としても平和な部分であろうか、登場人物たちの恋、結婚の話が展開する一巻である。
 若者たちはパーティなどで自由に好みの相手に近づくことはできるものの、いざ結婚となるとそれほど自由ではない。この新訳版の工夫の一つでもあるコラムにもなっているが、このころのロシア貴族たちは経済的に苦しく、多くの持参金をあてにできる相手との結婚を親がのぞむことも多かったからであろう。そういった制約もある中、「恋に恋する」ようなナターシャの若い心に影響し、影響される男たち。華やかな舞踏会や劇場の情景、田舎での狩や、クリスマスのお祭り騒ぎなどの情景が鮮やかに描かれる中に、登場人物たちの心の動きもきめ細やかに書き込まれている。

 この第三巻まで、巻末にはその巻までの年表がつけられている。登場人物の節目的な出来事と、関連するヨーロッパでの歴史的出来事の年表である。どのできごとあたりまでが第一部なのか、さらには親切に文庫の各巻がどこからはじまるのかが記されているので、これまでを振り返るのにも便利である。寛政の改革、歌麿死去などの日本の出来事もちょこっと入っていて、「そのころ日本は・・」と想像をつないでくれるのもちょっとしたおまけとして面白い。
 最終巻まで進めば、この年表だけであらすじを読んだ気になる・・・かもしれないが、現在進行形で進む心の変化、描写の味わいは、本文を読まないと伝わらない。何度も何度も読み返して味わうために、年表でその場所を探し出して再訪して読み返したい。
もう少し何とかならないでしょうか? ★★★☆☆
 第3巻の第4編は、ニコライたちの狩りやナターシャの「雰囲気やステップも、まねや、習い覚えたものでない、まさに、おじさんが彼女に期待していたロシアのものだった」という踊りのシーンなど「戦争と平和」の中で最も美しいとされているところです。

 この巻でもやはり引っかかる点がいくつかあります。

 201ページのコラムでは、ロシアの爵位(と財産)が、男性は爵位と財産、女性は持参金という形で分割相続したため、土地や財産が細分化されたことも指摘すべきだったと思います(トルストイ自身も兄弟たちと分割相続しています)。

 184ページの「結婚しろ、結婚しろ、お兄さん」(ニコライ公爵が息子のアンドレイ公爵に言う言葉。自分の息子に「お兄さん」とは言わないでしょう)

 314ページの「あの方すてきね、セックス無しなんですもの」(ピエールに対する社交界の女性たちの評判。社交界の女性たちに「セックス無し」は魅力にならないのでは?)

 331ページの「いや、おまえさん、別々に、別々にならなきゃ。ここのところをよくわかってくださいな」(ニコライ公爵が娘のマリアに言う言葉。老齢の貴族の発言には思えません)

 346−347ページの「十七歳の令嬢のいる家に毎日出入りするのを恐れたはずの男が(中略)セックスを抜きにした知り合いとして」(「セックスを抜きにした知り合い」はもう少し適切な言葉があるはず)

 過去に多くの方が翻訳されているのですから、それらの訳と照合することは必須です。増刷か改版するときに改めていただきたいと思います。