壮大な創作メモ帳
★★★★☆
書かれた順番で言えば、アンナ・カレーニナ (上巻) (新潮文庫)が後だが、両作を読む前から、「戦争と平和」を後に読んだ方がいいと分かっていた。それは正しかった。
「アンナ・カレーニナ」が芸術作品として完成品だということは、それ自身を読んだ時点で充分納得したが、「戦争と平和」との対比に於いては、より一層実感を伴うものとされる。
登場人物によって繰り広げられる人生ドラマ、脚色を交えた戦争史分析、そしてトルストイ独自の科学的歴史学論。この三つ巴が交互に織りなされて小説と呼ばされることに、全ての読者が戸惑わされることになる。
これに、トルストイのロシア民族観が「アンナ・カレーニナ」と共有されている。
「戦争と平和」は完成に至るまでも、何度も一から書き直されているそうだから、これはまだ、創作メモが挟まれている未完成品かと思いたくなる構造ではあるが、しかしそれは飽くまでも構造についてに過ぎず、内容に於いては、束ねられた三本の矢のどれもが完結を見ていることが分かるので、読者が勝手に戸惑っていればよいのだろう。
人生ドラマ部分だけを浮かび上がらせると、これが「アンナ・カレーニナ」の備えになっていることも読み取れる。
芸術作品の完成のために必要なことの一つに過不足の無いことが挙げられるが、過不足をあらかじめ「戦争と平和」が補った功績を考えた。
小説がなし得る全てを、トルストイは立て続けに書かれたこの二作で成し遂げてしまった。
後世の作家はこの巨峰を越えることは出来ない。
小説自体は面白いが...
★★★★☆
他のレビュアーさんも指摘しているところだが、巻末の長ったらしいエピローグには辟易した。正直、何が言いたいのかよくわからないし、これほどのページを費やすほどの内容があるとも思えない。
小説自体は非常に面白い。登場人物が以上に多いという噂?で敬遠していたのだが、いざ読み出すと止まらない。人物の一人一人が非常に深いレベルで描きこんであるし、大叙事詩と言ってよい壮大なストーリーも素晴らしい。
それだけに最後の大論文は「あとがき」として読みたかった。これは小説の一部ではないだろう。せっかくの美しいエンディングを小説の最後と意識せずに冗長なエピローグ第二部に突入してしまったため、結果的に退屈な気持ちだけが残ってしまった。
まあ、今からトルストイに文句を言っても仕方ないが(笑)。これから読まれる方、ご注意を。
大叙事詩は小説で
★★★★★
トルストイの小説のなかでは、戦争と平和が第一であることは、ほとんどの人が認めるところであろう。どんな描写にも生き生きとした人生が伝わってくる。不思議としか言いようがない。この最後の巻は主人公ピエールのもっとも活躍する部分。壮大な物語の大詰めである。ここには、まだトルストイの人生肯定のもっとも偉大な模範が見られる。
エピローグはトルストイの戦争観を語ったもので、人によっては退屈するかもしれない。
この小説のもつ圧倒さは映画では、とても得られない。映画というものが長大な物語には向いていないことが如実に示される。ヘップバーンもロシアの戦闘シーンばかりのものも小説を読んだあとではとても見ていられない。大叙事詩は小説の独壇場である。
古びることのない、歴史論と戦争批判
★★★☆☆
この巻からいよいよ、1812年のロシア侵攻が始まる。同時に、作者が歴史論を述べ始める。トルストイの意見は19世紀に支配的であったものとは逆で、歴史は一握りの権力者や天才により動かされるのではなく、個々の人間が作る、現代的に言えば「複雑系」により動かされるということだ。それに、トルストイはロシア史やフランス史といった観点からではなく、世界史というものを見据えている。これらの歴史論は19世紀人のものとは思えず、さすがはトルストイと言うよりないだろう。
この巻のクライマックスであるボロジノの戦いの前夜、アンドレイとピエールが再会する。そこでアンドレイは、戦争の実態を正直に語り出す。
「……戦争の目的は殺人じゃないか。戦争の手段はスパイ行為、裏切りや裏切りの奨励、住民の生活破壊、軍の物資調達のための略奪や盗みだ。軍事上の策略と言われる嘘やごまかしだ。……そして、人を多く殺した者ほど、大きなほうびをもらうんだ……」
それでも彼は戦闘に参加する。そして重傷を受けるが、そこで愛に目覚めるのだ。
《同情、同胞への、愛してくれる人たちへの愛、我々を憎む者たちへの愛、敵への愛――そうだ、神が地上で説き、マリアがおれに教え、おれが理解しなかった、あの愛なのだ。……》
これらの思想は、将来のトルストイの根幹となるべきものである。
トルストイの歴史に対する姿勢
★★★★★
トルストイがこの小説(『戦争と平和』)を完成させたのは、1869年の事である。1869年(明治2年)と言へば、この小説のテーマであるナポレオンのロシア遠征(1812年)から57年の時が経って居る。トルストイは、膨大な史料を読破し、戦場を自ら訪れる等して史実を自分の目で検証した上でこの作品を完成させたが、この作品が、ナポレオンのロシア遠征から半世紀以上の年月が経って書かれた事と、今、私達が第二次世界大戦終結から61年目の年に生きて居る事を較べると、その時差は、大体同じである。では、トルストイが、この小説の中で歴史に対峙した姿勢と、現代の私達が第二次世界大戦を振り返る姿勢のどちらが客観的であるか?と考えてみると、もちろん、人によって歴史観は違ふから、一概に比較は出来無いのであるが、トルストイの歴史に対する姿勢は、非常に冷静で、客観的な物だったのではないか?と、私は思ふ。しかも、この作品が、帝政ロシアの政治体制下で書かれた事を思ふと、歴史の検証に関して、19世紀なかばのロシアは、意外に自由だったと考えるべきなのか、それとも、現代の世界は、「意外に」自由ではないと考えるべきなのか、それは、意見が分かれる処だろう。『戦争と平和』を、こう言ふ視点で読んでみるのも有意義な事ではないだろうか。−−私は、トルストイが、今から半世紀後に私達の時代を小説として書いたら、私達のこの時代をどの様に描く事だろうか?と思ふ時が有る。
(西岡昌紀・内科医/9・11テロから5年目の日に)