読むと痛い本がある。読み始めると催眠状態に入ったように、心も体もひりひりさせながら、読み通すまで下に置けない。これはそういう本だ。覚悟がいる。
父と母は17歳で出会って結婚し、やがて娘が生まれるとすぐに離婚。母は支配欲の強い祖母から自立しようともがくあまり、愛を求める幼い娘に十分にこたえてやれない。幼い娘は深く傷つきながら成長する。父は牧師になって遠く離れた町で、新しい家庭を築いている。
10年ぶりに、別れた妻の家を訪れた父は、美しく育った娘の姿に息をのみ、20歳の娘はハンサムな父に心を奪われる。こうして2人は惹かれ合い、これまで失われてきた父と娘の関係をとりもどそうとする。自分の半分がどのような人によって形成されたのかもっと知りたいと思いながら、娘が父を見送りに行った空港で、それは起きた。別れ際に父が娘を抱きしめて、ディープキスをしたのだ。
そのキスが「サソリの毒針のように、口から脳に広がる麻薬」となって「意思の力を放棄」させ、麻痺が始まる。やがて2人は近親相姦の暗い谷底へと落ちていく。だが、娘を執拗に求める父の愛とは「おまえは神様がわたしにくださったものだ」として、娘をどこまでも傲慢に支配しようとするものだった。
母と娘の確執。その母を支配する祖母の影。ヴィクトリア朝時代を思わせる祖父の生活。裕福な家族から追い払われるという屈辱的な扱いを受けた父。その父との覚めない悪夢のような関係。呪文が解け、娘が呪縛から解放されるのは、母が乳ガンで死亡した瞬間だった。
著者自身の体験に基づく回想記とある。この重い体験にハリソンはメスのような、鋭く精緻な、削りに削ったことばで切り込み、人間の心理の奥底をえぐり出そうとする。その勇気と知性と、並はずれた技量は、ありふれた形容を寄せつけない。硬質な透明感に貫かれた、まことに稀有な作品である。邦題は『キス』。(森 望)
まさかこんな読後感になるとは。
★★★★☆
一読して驚いた。この緊張感はなんだ?作者であるキャスリン・ハリソンの内省的なモノローグを読み進むうちにひしひしと心に食い込んでくる。決して読みやすいとはいえないその濃密な世界は、しかし一旦取り込まれてしまうとグイグイ引っ張っていく力強さを兼ね備えていた。そう、本書は作者の実体験を元に書かれている。父と娘が交わってしまうというショッキングな出来事を真摯に語り、薄っぺらい本なのにとても重い残滓を読む者の心に残していく。
お互い惹かれあう父と娘。牧師でもある父は、やがて娘に対し抑えきれない愛情の奔流を止められないまま、越えてはならない一線を踏み越えてしまう。本書が只のセンセーショナルな本に堕っしてないのは、これが魂から溢れ出る血潮によって書かれているからである。彼女と父の激しくぶつかりあう逢瀬と交互にはさまれていく彼女の生い立ち。これらはみな現在形で語られる。そうすることによって読者はそれらの出来事をまるで追体験するかのように感じながら、読み進めていくことになる。読み進めるにつれてどんどん心に溜まっていく澱。彼女の心の痛さがストレートに伝わってくる。彼女の内面の苦悩が恐ろしいくらい実感できて息苦しいくらいだ。こんな薄い本なのに、なんて重たいんだ。身勝手すぎる父親の威圧的な愛情表現に歯がゆい思いをし、鏡の前で自分の存在を何度も確認する彼女の痛々しい姿に憤りを感じる。久しぶりに激しく感情を揺さぶられた。こんなに静かな語り口なのになんて猛々しいんだ。まるで、表面は穏やかに流れているように見えるのに、水面下では激しい流れが渦巻いている大河のようではないか。
まさかこんな読後感になるとは思ってもみなかった。やはり読んでみないとわからないものなんだなぁ
「父親とはどういうものか、私が定義してやろう」
★★★☆☆
何故あなたは私のものにならなくてはならないのか、男はありったけの言葉を並べ、理詰めで相手をねじ伏せようとする。聞いている女は、逃げることもできず、やがて根負けして屈し、身体を委ねてしまう。……恥ずべきことですが、昔は、私もそんな風にしてよく女性を口説き落としていました。もっとも、論理的な説得で恋愛の成就を目論むというのは、プラトン『パイドロス』以来の古典的な手なのかも知れませんが。
本書の父も、滾るロゴスの力を頼りに、再会した娘をがんじがらめにして、自分のものにしようと試みます。娘も、別れていた父への思慕のために、抗うことができずに遂に屈してしまう。ただし、そこには母との屈折した愛情関係が関わっていて、ゆえに、母の死をきっかけにその関係は終わりを告げるのです。
この作品は、構造的には、わたし-母-祖母の母娘三代、わたし-父-祖父の父子三代の繋がりが並置されていて、わたしは、拒食症で身体の発育が悪く月経が来ないという意味で中性的な存在として関わります。二つの繋がりはわたしにおいて交錯し、ゆえに、わたしの深層を探ることで、同時に父そして母の繋がりを辿っていくことにもなるのです。
ただし、著者の語りが本書の主題の核心を突いているか、というとかなり疑問に感じました。神父でもあるこの父親は、よく読むと、怪物的といえるほどに複雑で難解な性格の人物であることが窺われるのですが、文章の上では、「加害者」という単純なカテゴリーの中に閉じこめられたままです。ドキュメントならともかく、文学作品として人間の本質に迫ろうとするならこれでは不充分です。母との関係はわりと丁寧に書かれていますが、それもまだまだ。全体的に無意識の抑制がかかっていて、かなりの語り落としがあるように思われます。
う~ん
★★☆☆☆
現在の話に過去のエピソードが細々と挿入されているが(勿論何かを象徴しているのだろうけど)文化の違いか私が鈍いのか効果がない。と言うより、今に集中できず、過去に興味も持てず邪魔な感じがする。作者の実体験若しくはそれに近いようなので、小説として世に出す覚悟が中途半端だったのかという印象をもった。なぜ、どう感じたかと言う肝心のところを自身の責任としてきちんと伝えていない。ので、辛いけど大負けに負けて星2つ。
キス
★★★★★
近親相姦ーその仰々しい響きに興味をひきつけられる者も多いことだろう。しかしながら興味本位で手に取とった者でさえ、見事なまでの裏切りにあう。読者は、痛々しいほど繊細で鋭い感性が生み出す著者の言葉の世界に引き込まれていく。かつて彼女が味わった悪夢、幻想の世界を追体験するのだ。
ーそこはあまりに暗く、静かで、逆説的な心地よさが混在する。
実の父親との不適切な関係、母娘三世代にわたる呪縛。彼女は、抉り出すかのように一つ一つをたどり、さらけだそうとする。まるでそれが定めなのだと言わんばかりに。一度扉を開けたら、我々はもはや傍観者ではいられない。
キス
★★★★★
近親相姦ーその仰々しい響きに興味をひきつけられる者も多いことだろう。しかしながら興味本位で手に取とった者でさえ、見事なまでの裏切りにあう。読者は、痛々しいほど繊細で鋭い感性が生み出す著者の言葉の世界に引き込まれていく。かつて彼女が味わった悪夢、幻想の世界を追体験するのだ。
ーそこはあまりに暗く、静かで、逆説的な心地よさが混在する。
実の父親との不適切な関係、母娘三世代にわたる呪縛。彼女は、抉り出すかのように一つ一つをたどり、さらけだそうとする。まるでそれが定めなのだと言わんばかりに。一度扉を開けたら、我々はもはや傍観者ではいられない。