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教養としての歴史 日本の近代〈下〉 (新潮新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 新潮社
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暗めの後半戦 ★★★☆☆
幕末から敗戦にかけて、日本の近代史約90年を新書二冊で押さえるという福田和也『日本の近代』。本書はその下巻だ。上巻では、幸運にも恵まれ、明治政府の要人たちが試行錯誤しながらも優れた手腕をふるい、着々と進行していった近代日本の国家建設を、著者が好意的に書いていたという印象が残ったが、関東大震災にはじまりポツダム宣言で終わりを遂げる本巻は、為政者らや存在が大きくなってくる軍部の無策ぶりをひたすら叱責している。

特に太平洋戦争前、中国への侵攻には著者の言うとおり「引き際」となり得たポイントがいくつも見えてきて、それらをすべて日本がスルーしてしまったのは、関東軍のスタンドプレーもあれば、大正時代に生まれ当時困窮にあえいでいた「大衆」の熱狂的な支持を前に、指導部がもはや引き返せなくなった、というのもあるのだろう。戦中の東南アジアへの場当たり的な戦火の拡大も、どうしてこんな杜撰な計画がまかり通ったんだという風に思うのだけれど、それも「今」の位置に立っているからこその感情なのだろうか。

上下巻を通覧して、高校時代は日本史を選択していながらなかなか覚えが悪かった評者だが、当時より内容がすっと頭に入ってくるような気がした。というのも、本書は日本近代史を「日本の近代化」というのを一つのタスクを背骨にしているのだ。要はある一つの目標に向かっていると想定して歴史を語っているわけ。だから、あとがきできわめて注意深くことわりながらも大戦の敗戦を「一つの達成」と書いている。こういう物語化の危険性は上巻とかぶるので繰り返さないが、それこそ日本史のちょっとした復習として、日本史専攻でなかった人はそれこそ「教養」として、一読しても損はないだろう。
歴史は文学であることも大事ですが ★★★☆☆
福田氏が言うように「歴史は文学」は必要条件だと思います。
しかし「文学」であることを満たしていれば良いのか。
福田氏はユニークな歴史の見方を提示してくれる人で、
その語り口は大変面白いものです。
しかし、歴史は「文学」ではなく、冷徹な事実をみる眼が
必須だと思います。でなければただの「小説」になってしまいます。
歴史家は史料を基に、独自の「史観」を持って語る必要があると
思いますが、史観がどれほどの客観性を持っているかが大事でしょう。
特に近現代史はその点が非常に難しいものです。
この上下巻全体をを通しての感想は「小説」に比重が傾いているというものでした。
ただ福田氏の著作が、それ故に読者に受け入れられているということもあるでしょうけれど。
歴史をどうみるかの難しさを考えさせられる本でした。