またこの場面は視覚的な見せ場というだけではなく、人を殺(あや)めることの重みについて読者に強く問い掛けています。
昨今、人の命を奪うことに逡巡の念を抱かないような殺傷事件が多発しています。しかし誰かの「未来を断ち切る」(192頁)ことの甚大さを普通の人々はまだ認めているはずです。ですからDr.テンマも二ナもヨハンに留めを刺すことができません。
図書館の場面では、テンマも二ナも自らが手を下せないと同時に、互いを殺人者にするわけにはいかないという配慮をギリギリの瞬間までしています。そこに私たちは健全な心を見るのです。
そこで思い出したことがあります。オウム教徒たちは世界をより良くすることを信じて宗教活動に走った若者たちがほとんどでした。しかし彼らは教団活動の途上で軽犯罪を重ねることで、重罪犯への階梯を知らず知らず歩かされていったのです。誰しも軽犯罪に対してはさほど良心の呵責を感じませんが、手を染める罪の程度を徐々に上げていくことで犯罪に対する心理的ハードルはどんどん低くなり、やがて殺人へと容易にたどり着くことができるというのです。人の心が健全さを失う道程は思いのほか複雑ではないのです。
第9巻以降のテンマにとっての心理的ハードルはどう変化するのでしょうか。今後の展開が楽しみであると同時に、心寂しい想像にも囚われてなりません。