なんで、俺なんだ。
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本書を読んだ時、自分との境遇の類似から感情移入して泣いてしまったことを覚えている。完成度は超一級であろう。現代の日本いや、諸外国でも先の見えない若者は数多くいるだろう。是非手にとって読んでみてほしい。
事故は脚だけでなく人間の尊厳を奪う(戸川編)。
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戸川は障害者バスケの日本代表に選出された。
巻末には、そんな戸川清春の障害発症直後が描かれる。
事故は脚だけでなく人間の尊厳を奪う。高橋ほどではないにしろ、清春も、父親の目、好きな女の目が気になる。父親が自分の脚を見てくれないのが悲しい。好きな女に同情されたくないから脚を見られたくない。
そんな時、清春は虎とヤマに出会う。それは清春と障害者バスケとの出会いでも会った。
20歳くらいで死んでしまうのに「命が長くないなら濃さで勝負」と今を懸命に生きるヤマ。
清春と同じ障害者でありながら彫師として世界に通用する技術を持つ虎。
二人との出会いで、清春は前向きに生きてゆけるようになる。
3人とも強いな。自分だったら、こうはなれないよ、きっと。でもなりたい。
リアルについて
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まだ、読んだことの無い方は是非、手にとってお読み下さい。
少しずつ少しずつ、胸の中に「生きることの意味」が沁みてくるでしょう。
図らずも、障害を持って生きることを余儀なくされた戸川。死を見つめなが
ら、生を噛みしめるヤマ。障害があっても自分に出来る事を捜し、チャレン
ジする虎。変わりたいと思った時点でもう前に進んでいるのに、焦る野宮。
到底、受け入れられない、受け入れたくないと思う逃れようのない現実を、
受け入れていく戦いが、繰り広げられます。
誰も代わってはくれません。
自分の人生は、どこまでも、自分自身が生きるしかないのですね。
どんなに辛くても。
・・・それがリアル…現実です。
泣きながらも、少しずつ顔を上げて生きてゆく彼らに
勇気づけられます。
車椅子バスケのシーンも迫力あります。井上さんの描く絵もリアルです。何
度も何度も読んでしまう魅力があります。
それぞれのリアル(現実)
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誰もが知っているバスケ漫画『スラムダンク』の作者・井上雄彦が描くもう一つのバスケの物語の第四巻。
いや、この『リアル』という作品はバスケットボール(車椅子の)を題材にしながらも主軸はもっと別のところにある作品だと言えるかもしれない。
この作品に『スラムダンク』のような青臭さは無い。 むしろヒリヒリするような痛みや絶望が待っている。
この物語では、現実の私たちがそうであるように、それぞれのリアルを生きている。
前途有望な陸上選手でありながら病で脚を切断し、車椅子バスケにかける者
高校を中退し、現在の所在無い自分に葛藤する者
事故で下半身不随となり、今までの自分とのギャップに苦しみ自暴自棄になる者
それぞれが自分たちの現実を突き付けられ、その中で悩み苦しみ挫折しながらも懸命に自分の居場所を探そうとしている。
この巻ではないのだが、物語の中でこんな台詞のやりとりがある
“歩けなくなった人間の気持ちが わかんのかよ てめーに!!”
“わかんねーよ 俺 歩けるもん!”
結局そいうものなのだと思う。
本当の苦しみや葛藤は、当事者にしかわからない。
それは障害のみならず、心の痛みだったり・悲しみだったり。
それを“分かる”と言ってしまうのは
偽善者であり傲慢な考え方だと思う。
しかし、その当事者の痛み・苦しみを
想像することはできる。 類推することはできる。 思いやることはできる。
そんな風にして誰かの“リアル”と誰かの“リアル”がリンクしたとき
人はお互いを支えあうことができるのではないか
そんなことを考えさせてくれる作品だと私は思います。
自分とは?そしてリアルとは?
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三巻はリアルの喪失した高橋の話であったが、この巻はリアルの喪失した戸川の過去の話である。
陸上の短距離で才能を発揮し始めた戸川。そんな戸川に病気という残酷な現実が突きつけられる。
病気・事故・・・神様は本当にいるのか?そう勘ぐりたくなるのが、わたしたちのリアル(現実)である。誰一人、ここからは逃れられない。リアル(現実)という足枷は死ぬまでついてまわるのである。
その事実を受け入れられたときにはじめて、リアル(現実)と向き合うことが出来る。
戸川は同じ境遇の人間をみて、見失っていた自分をみつける。
その過程はとても痛々しい。リアル(現実)とは痛々しいものなのかもしれない・・・
その痛々しい現実に、私は涙を止めることはできなかった。