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カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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総合小説 ★★★★★
父親殺しの嫌疑をかけられた長兄の裁判が始まる。公判が進むにつれて、事件は意外な方向へと発展し、終焉を迎える。


1世紀以上前に書かれた作品ですが、現代に通ずる点も多く、普遍的な内容を孕んでいます。


歴史とは繰り返すものなのでしょう。現代は過去と比較して著しく発展したように錯覚をしがちですが、根幹は進歩しておらず、何も学んでいないのではないでしょうか。

何も学ばないにもかかわらず、見返りを求め続けているのでしょう。人間は誰しも無意識下において赦される事を望んでいるのではないでしょうか…。


「人間たちは、文句なしにすぐれたあれほどの知性をそなえながら、この喜劇を何か深刻なものにとり違えているんだよ。そこに彼らの悲劇もあるわけだがね。そりゃ、もちろん、人間たちは苦しんでいるよ、しかし…その代り、とにかく生きているじゃないか、幻想の中でじゃなく、現実に生きているんだ。なぜなら苦悩こそ人生にほかならないからね。苦悩がなかったら、たとえどんな喜びがあろうと、すべては一つの無限なお祈りと化してしまうことだろう。」
やっと読み終わりました。 ★★★★☆
去年購入したものの、上まで読んで、その後忙しくなり、また上を読み直し、また忙しくなりと、
なかなか読み進むことが出来なかったんですが、やっと読み終えることができました。
が・・・。続きが読みたい!!ここまででも最高傑作だとは言われていますが、
本当に最高傑作なだけに続きが読みたくて仕方がないです。
未完だなんて、本当に残念でなりません。
これから、アリョーシャがどうなっていくのか、これからという時に・・・。
本当に残念です。
仕方がないので、他のドストエフスキー作品でも読んでみます。
言葉が出ないほどの迫力と感動 ★★★★★
高校生の私でも、最後までグイグイと読み終えることが出来ました。特に中巻からは文字通り寝食を忘れて読みました。私はクリスチャンなので、神と人というこの大きな永遠のテーマに興味を持って読みはじめたのですが、大審問官の部分では衝撃で心身が震えました。クリスチャンは是非是非、何度も読むべき本だと思いました。
また、登場人物がとても魅力的に書かれています。兄弟それぞれに愛すべき所が沢山あり、結末近くはそれぞれのために涙が止まりませんでした。裁判部分も迫力があり、推理小説としても一流です!

長々と書いて何が言いたいかというと、長さと前評判だけで、この本を敬遠している高校生に、是非手にとってほしいということです。世界にこんな傑作があったのか!と衝撃を受けること間違いなしです。
さすがは最高傑作 ★★★★★
史上最高峰との文学と言われるほど名高い、ドストエフスキーの最晩年の作品である。
その「謳い文句」に関わらず、私がこれまでの人生で最も感動した、うち震えるほどの感動をしたのがこの作品であった。
私は現在32歳であるが、『カラマーゾフの兄弟』は3回通読した程である。

淫蕩の限りを尽くす、父フォードル、自らを卑劣漢とまで称しながらも最も誇り高い長男ドミートリー、冷徹な哲学的見地に立つことで「カラマーゾフ的血縁」を憎みながらも生命の崇高さを誰よりも強く思う次男イワン、神学の道に身を置きながら俗世へ下りその後最も「カラマーゾフ的な性質」の現れが臭われた聖人アレクセイ。

この4人の「カラマーゾフ」によって物語は展開する。

神学的なモチーフがふんだんに用いられながらも、父フォードルの謎の死というプロットによって物語はサスペンス的なスピード感を持つことになり、これが読者を一気に惹き付けることになる。

直情的なドミートリーが最も怪しまれつつ、イワンの皮相な思想談義に動機が臭いそれを後押しするかのように登場する従僕スメルジャコフによるイワンの思想の極端化、どの兄とも決して疑わないアレクセイの愛と献身、これらが折り重なり、最終的には最も悲劇的な結末を迎えることになる。

一般にロシア文学は難関だというイメージがあるかと思われるが、私はそこらの娯楽小説を読むくらいなら時間をかけてでも『カラマーゾフの兄弟』を読むべきだと強く奨めたい。
読み終えた ★★★★★
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた。金原ひとみは、上巻を読むのに4ヶ月、中下巻を読むのに3日かかったらしいが、僕は、上巻1週間、中巻1ヶ月、下巻3日だった。読み終えて感じたものは、達成感ではない。なんだろう。よく分からない。終わるべきものが終わるべくして終わったような感じだ。
 本書の解説を読んではじめて知ったのだが、ドストエフスキーの構想では、本書には続編が存在するはずだったらしい。本書の事件の13年後の話で、アリョーシャがテロリストになって皇帝暗殺を目論む、とかいう話になるはずだったとか。ひょっとすると、ドストエフスキーが本当に書きたかったのはその第二部の方で、第一部はおまけのようなものとしか考えていなかったかもしれない。そして彼は、おまけにすぎない第一部を人々が「世界文学史上最高の傑作」などと祭り上げているのを見て、天国で苦笑しているのかもしれない。しかし、そうだとしても、そんなことはどうでもいいことだ。とにかく本書は面白いんだから。