組織と個人の軋轢、追う者と追われる者の駆け引きなどを緻密な筆でつづり、水際立った展開で読み手を引きこむのが横山の持ち味である。しかし本作では、あえてその筆の巧みさに自ら縛りをかけ、実体験をベースに抑制の効いた渋い群像小説となった。トリッキーな仕掛けや、えっ、と声が出そうなスリリングな結末、といったものはない。練りに練ってこれ以上は足し引き不可能な研ぎ澄まされた文章で、未曾有(みぞう)の大事故に決然と立ち向かい、あるいは奔流を前に立ちすくむ人間を描いている。
地方新聞の一筋縄ではゆかない、面妖と言っても過言でない人間関係、ひりひりした緊張感。おそらく横山自身が体験したのであろう新聞社の内幕はリアルで、読み止めを許さない。過去に部下の新人がなかば自殺の事故死を遂げた負い目をもつ主人公は40歳の遊軍記者だ。大惨事の現場にいち早く到着し、人間性のどこかが壊れてしまった26歳の若手記者や、現場雑感の署名記事をつまらぬ社内の覇権争いでつぶされる33歳の中堅記者、「下りるために登るんさ」と謎の言葉を残して植物状態になった登山家の同僚――どの登場人物も、著者の一部であり、また思い通りにゆかない人生を懸命に生きる、すべての人間の一部でもある。
本作は、普通に捉えれば著者の新境地だろう。しかし、これはむしろ横山が元々、奥深くに抱いていたものではないか。著者は本書を上梓することで、自身も過去に決着をつけようとしている印象を強く受ける。やや明る過ぎて物足りない感のある結末も、聖と俗を併せ持つ人間にもっと光を当てたい、救いたいという願いであり、そしてなにより著者自身が本作を支えに新たな一歩を踏み出すためのものだろう。また、そうであってほしい(坂本成子)