仏教の本筋を戒・定・慧の三学、上求菩提・下化衆生とし、ここからはずれるも
のは本来の仏教ではないというのは、分かりやすい指標だと思います。日本では
道元禅師が最も本来の仏教を伝えようと努力された点もよく分かります。
改めて知ったことで最も興味深かったのは「法華経」の成り立ちについてのある
種のいかがわしさでした。日蓮聖人や創価学会など法華経を中心とする教主・教
団が何故あのように激烈であるのか非常に納得がいきました。(私も法華経はお
唱えしますが。)
同著者の『仏教』、『お経の話』もぜひ読んでみたいです。
しかし、現在の仏教研究の水準から考えるとこの本の批判はもはやその機能をはたしていない。特に浄土・禅思想に対する偏見についてはぬぐい難いし、法然の生涯など日本仏教史について歴史的・思想的な部分を誤解している(横川隠棲とその意義について触れていない)など、日本仏教思想についてわかっていない所が多々みられる。又、その後の研究成果によってこの本の判断のもとであるインド仏教の理解が必ずしも当たっていないことも(たとえば政治と教団との関係など)明らかである。
インド仏教のみを正統とし、日本で独自に発達を遂げた思想を「もはや仏教ではない」とするのは一面ではあたっていよう。但しだからといって日本で発達した宗派全てを思想的に劣っているとして貶めるのは、インドとその他の地域のありとあらゆる相違点を無視して強弁しているにすぎない。
まえがきには同著者による『仏教』(岩波新書)とどちらを先に読んでも良いと書いてあるが、いわば応用編にあたる本書を後に回す方が絶対に良いと思った。尚、本文中に漢文や古文が頻繁に挿入されるのには閉口した。