barubora異界
★★★★★
デパートの片隅で出会った美女が実は存在しない女性だったーー奇妙なストーリーで幕を開けるこの作品は
『やけっぱちのマリア』とならぶ、手塚男性彼岸ものの二大傑作と言ってよい。
主人公は売れっ子の作家ではあるが周辺にはサスペンスやミステリー、悪の誘惑が満ち溢れている。
ばるぼらは恩を決して抱かれないが、これらから主人公を護り通し、ツキを呼び込んでくれる。
劇中の作家が語る。
「バルボラはミューズであり芸術の女神だ。あらゆる芸術家の元へ突然現れツキを呼び込んだかと思えば、
ある日突然消えてしまう、時空を超えた存在だ」
薄汚れたコートに身を包むフーテンで大酒飲みのばるぼらは、かと思えば美しいドレスに身を包む。
ばるぼらにどこか遠い懐かしさを憶えたむきは、手塚治虫の狙い通りの方々だろう。
創作家の皆さんならばるぼらに戸惑い、惹かれ、突き放そうともがき、結局自分から探しに出てしまう
この不思議な感覚をきっと共有出来るのではないだろうか。
そして、心のどこかでばるぼらをずーっと求めてた事に気づくだろう。
自分勝手な振る舞いに明け暮れてゆく生活の中で、気づいた時にばるぼらはもういない。
無理に探し出し、自分に従わせようとするならば手ひどい罰を受ける事になる。
そのときあなたの心は果たして、主人公と一致するのか。それとも。。
手塚はヒューマニストか
★☆☆☆☆
事物に対する氏の、表層的で短絡的な捉えかたが、よく現われている作品。
ばるぼら、暑苦しいくらい「女」にしか見えないのに、少年のようと形容しているのにも苦笑い。これ見よがしにヴェルレーヌを諳んじるし。
ポルノの翻訳で食っている男の元に若い魅力的な女が転がり込んで奇妙な関係を築く、出口裕弘「京子変幻」のたちの悪い焼き直しに見える。こちらは本当に美少年が出てきますよ。
芸術と狂気の狭間を描く手塚治虫の名作
★★★★★
他のレビューで、この作品の主人公「美倉洋介」を「売れない作家」と書いていらっしゃる方がいますが、そうではありません。美倉洋介はこの物語の巻頭で、すでに耽美(たんび)小説家として文壇にユニークな地位を築いている「売れている」作家として設定されています。
その今まさに「売れている」作家である美倉洋介が、「ばるぼら」という名のフーテン娘を東京・新宿駅で拾って自宅に連れ帰り、そこから奇妙な二人の同棲生活が始まります。そして、手塚治虫は、この二人の奇怪な生活の顛末を描きつつ、芸術とはそもそも何か、芸術家を創作活動へと突き動かすエネルギーの源とは果たして何なのか(それは人が"狂気"と呼ぶものなのか?)、という問いに対し、自分なりの答えを提示し、世に問いかけたように、私には思われます。手塚治虫はこの「ばるぼら」を書きながら、自身の作品の「芸術性」や、漫画家として生きる自分の内面、特に漫画界の第一人者としての自負と、創作上のジレンマやスランプがもたらす内面の葛藤を強く意識していたのではないでしょうか。
不条理と怪奇に満ちたストーリー展開は、数ある手塚作品の中でも第一級のもの。文句なく5つ星としたいと思います。
奇々怪々
★★★★★
これに出てくる登場人物は「オマエラ何しとんじゃい!」と何度もツッコミを入れたくなります。彼らは安住を恐れ自らを破滅に向かわしめていきます。何故か最初は異常に見えたバルボラが最後は段々まともに見えてきます。逆に最初はまともに見えた美倉が荒唐無稽で狂人の姿をあらわにします。
手塚作品の中ではいちばんリアルかもしれない女
★★★★☆
手塚治の物語の中の女性キャラクターはだいたいみんな記号のように面白くなくて似通っていると思ってきましたが、ばるぼらだけは、コマとコマのあいだにちょっと血肉を感じます。それだけでも手塚作品中、いちばん好きな女性登場人物です。前半は読んでいて嬉しくなるほどです。「ピノコ」、「火の鳥」、「ボク(サファイア)」。――そのいずれでもない、勝手な女が、ばるぼらです。男性がばるぼらに対して覚えるかもしれない「気持悪さ」と、女性が手塚治作品の他の女性キャラクターに対して感じている「気持悪さ」は、相当異質のものだと思うけれど、そんなことも含めて、「神様」の膨大な遺作の中でも、ちょっと特異な位置を占める作品でしょう。