このような話を、主人公と言っていい立場にあるジェイソン・カワードは、子どものころに聞かされる。このときまだ彼は、自分がタイタニックという運命の船に、楽団のマスターとして乗り込むことになるとは気づいていない。もちろんそれはカワードに限らず、彼と共に演奏する6人のメンバーにしても同じことだ。別々の国や街で生まれ、異なった人生を歩んできた自分たちが、どうして最後に同じ末路を迎えるなどと思うだろうか。
「それは音楽の力なんだ」と、この長大な作品をわずか25歳のときに描いたノルウェーの作家ハンセンは言いたいのに違いない。惑星直列ではないけれど、一見バラバラに関係なく動いている惑星には軌道と時間的秩序があって、しかるべき時にしかるべくして、その一瞬の運命を共有するようにできている。宇宙で奏でられている音楽に操られるかのように、人々は出会う。ただその音楽の旋律を、ほとんどの人が聞き取れないだけだ。
タイタニックに乗船する楽団員はすべて、ハンセンの創作によるものだ。そこにいたるまでの個々の運命もまた、彼の創意によっている。そして、あらかじめ設定された時間に動き出す時計にたぐり寄せられていく彼らを、読者は結果を知りながら見守っていくことになる。しかしながらそこに陰惨さや悲劇性は希薄だ。「宇宙には音がある」ということを、読者は冒頭から諭されているからだ。
宇宙の音を、やや強引に「神」に置き換えるなら、人物たちのエゴは最初からはかない。そしてタイタニックは悲劇ではなく、自分もまた最初から何らかの「船」に乗っている「乗客」であることを読む者は感じる。その意味で、この本の表紙は完全に正しい。(駒沢敏器)