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錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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わたしという存在 ★★★★★
真偽はともかく面白いと思いました
難しい部分もあり全部は理解出来ませんでしたが
共感出来る部分もありました
この本を読んで人生観がちょっと変わりました
このように考えれば、少し楽に生きられるかも・・・ ★★★★☆
私たちの体験することはイリュージョン、錯覚なのだ、と主張する著者。 
著者は、れっきとした科学者で、研究成果に基づいた結果なのです。 
一般的には、この話をすぐに「そうかそうか」といってすぐに受け入れるわけではないでしょうね。でもこういうったものの見方をすることで、こだわりを減らすこともでき、楽に生きられるかもしれません。 
文体が話し言葉に近いこともあり、読みやすい。
強いていうなら、引用や参考にした論文や書籍を掲示してもらいたかったですね
著者の考え方が良くわかる本です ★★★★★
私自身同じ様な事を考えていたので、著者が「どうやって、全てがイリュージョンと考えるに至ったか」が説明されていて、楽しく読めました。
情報学・生理学・心理学・哲学から、宗教まで総動員して考える、「システム学」の今後が楽しみになりました。
また、「自分の頭で考えろ」と言う事を、改めて確認しました。
新しいアイデアと論理性に欠ける残念な書籍 ★☆☆☆☆
タイトルで大変期待して購入しましたが、内容的には、数十年前から言われているアイデアの繰り返しの列挙で、新たな驚きがなく、非常に残念でした。説明の方法もポイントとなる「イリュージョン」、「受動意識仮説の中のエピソード記憶」といった言葉の具体的な定義がないまま展開されており、非常に言葉の定義があいまいなまま、著者の考えを一方的に押しけられてしまいます。通常理科系の文章であれば、言葉の具体的な意味の読者との共有、次に、自分のアイデアを具体的に説明できる現象・プロセスを示した上で、その内容を読者に咀嚼させる構造をとるのが普通ですが、この書籍では、この部分がない一方、あまり、このタイトルに関係ないエピソードを随筆的に多くのページを割いて記述した部分が多く、読んでいて、非常にフラストレーションがたまりました。
また、参考にされている文献も大脳に関する医学研究やそのほかの重要な分野の引用がほとんどなく、非常に限定された著者の経験と知識のみをベースにしており、本来であれば、各種関連分野での最新研究成果も念頭に入れて、記述してほしいと思います。
私も理科系の人間で、この分野の著作には大変興味があるので、次の作品では、これらの点を改善した著作を期待します。
言われてみるとすべてはイリュージョン。そこにあるのはむなしさか? 楽しさか? ★★★★☆
『脳はなぜ「心」を作ったのか?−−-「私」の謎を解く受動意識仮説』の続編。著者は前著で「意識」は受動的な存在であり、自己意識は誰もが持つ錯覚に過ぎないことを、平易な言葉でわかりやすく解説しました。それに対する反応に応えた2年半ぶりの著書。
本著では、前著に寄せられた”専門家”の指摘に応え、「クオリアこそが意識の最大の謎」だとする「心の哲学」と対比させながら、より明確に受動意識仮説を展開しています(第1章・意識というイリュージョン)。
また、前著では少し触れただけの五感のクオリア(質感)について検討し、それがイリュージョン(幻想・錯覚)であることを主張します。聴覚の元となる空気の振動は耳で検出しているのに、なぜ会話相手の話し声は相手の口元から聞こえるのか? 当たり前だと思っていることですが、改めて問われると確かに不思議です。著者は「そのようなクオリアがそこに生じたかのようにイリュージョンとして感じるように、私たちの脳ができているからとしか考えようがない」と、これは五感がイリュージョンであることを示していると主張します。(第2章・五感というイリュージョン)。
そして最終的に著者が示すのは、すべてはイリュージョンという世界。価値、幸福、さらには生・死もイリュージョンであると著者は言います。「死はすべての終わりではなく、ただもとに戻るだけなのだ」(第3章・主観体験というイリュージョン)。
これは釈迦の悟りの境地・「空」につながると言う著者が勧める生き方は、『もともと何もないはずのところに心や物が今あるように思えているという奇跡的な「儲けもの」のイリュージョンを静かに楽しもう、という生き方』。
世間では、教育論議が盛んですが、冷めた子どもたちに必要なのは、「夢を持て!」「将来が大変になるぞ」といった熱い励ましよりも、著者が展開する淡々としたイリュージョンの話ではないでしょうか。