滑稽だけれどもこれが人間
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1960年代の米ソ冷戦中に書かれた、世界の終わりを描いた小説です。
ある作家が、原爆開発に携わった一人の科学者についての本を書こうと、関係者に取材を始めます。
ところがここから話はどんどん変な方向に向かっていき、最終的に、南方の小島San Lorenzoで、本当にちょっとしたことがきっかけで、数人のアメリカ人により、世界があっという間に終わってしまうという話です。
と、あらすじだけ書けば身もフタもないようですが、読後になんともじわっと心に迫ってきます。
科学と人間の愚かさを題材にした、奇妙で滑稽な物語ですが、描かれているのは、作者の人間に対する、屈折した、しかし怖いくらいに深い愛情です。
あっけない終末といい、作中のカルト宗教、Bokonon教の人を食ったような教義といい、自分がどこまで冗談の通じる人間か試される小説ではないでしょうか。
単語はたまに難しいけど、構文はシンプルな英語です。
しかし、もう、核心をついてくる言い回しの多いこと。深遠なことを書くのに、難しい表現はいらないんですね。
これは、アメリカ人だからこそできた芸だと思います。
この作者については、和訳ではなくぜひ原著で読むことをお勧めします。
ヴォネガットの傑作
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もはや古典と言ってよいのでなないでしょうか?
学生時代に伊藤典夫氏の名訳で読んで衝撃を受けて以来、一度原文で読みたいと思っていましたが、やっと果たしました。
伊藤典夫氏の訳文は当時ずいぶんと新鮮に感じたものですが、こうして原文を読むと、英語もなかなか育ちのよさを感じさせる文章です。
もっとも、文体の礼儀のよさと反比例するかのように、ストーリーの方は意外な展開で最悪の事態へと不可避的に加速していきますが。
何といってもこの小説の魅力は、主人公のまわりにいつしか集まってくる社会からちょっとズレたような人たちの姿でしょう。
そのズレ具合が何といっても絶妙なのです。
人間の魅力とは、理想的人間像からのズレ具合にある、というような事を言った人がいましたが、(確か、スタニスラフ・レムだったと記憶していますが)、この本の登場人物たちはまさにその格好の例と言えるでしょう。
ストーリーは、アイスナインというあまりに単純すぎる科学的発見(あるいは、最終兵器?)というSF的アイデアを軸に怪しげでいながら妙に説得力があるボコノン教という架空の宗教を背景に、黒い笑いを随所に織り込んで展開します。
そして、最後に迎えるラストの場面がヴォネガットの真骨頂なのですが、それを言ってしまうとネタばれになりますので、控えましょう。
今、再読しても傑作だと自信を持って言うことができます。