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1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫)

価格: ¥560
カテゴリ: 文庫
ブランド: 幻冬舎
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:木藤亜也/著 出版社名:幻冬舎 シリーズ名:幻冬舎文庫 発行年月:2005年02月 関連キーワード:イチリツトル ノ ナミダ ナンビヨウ ト タタカイツズケル シヨウジヨ アヤ ノ ニツキ ゲントウシヤ ブンコ いちりつとる の なみだ なんびよう と たたかいつずける しようじよ あや の につき げんとうしや ぶんこ、 ゲントウシヤ ゲントウシヤ 2076 げんとうしや げんとうしや 2076、 ゲントウシヤ ゲントウシヤ 2076 げんとうしや げんとうしや 2076 15歳の夏、恐ろしい病魔が少女から青春を奪った。数々の苦難が襲いかかる中、日記を書き続けることが生きる支えだった。最期まで懸命に生きた少女の言葉が綴られたベストセラー。 
すごい人がいた ★★★★★
DVDでテレビドラマ版を見てから、興味を持ち、本を読みました。
ドラマ版は、ドラマチックな展開が繰り広げられるけれど、現実はもっと残酷。
病気は淡々と進行していき、医者もどちらかというと事務的な印象(そうでなければ、やってられないのでしょう)。
そのなかで、ドラマ同様、いや、それ以上に力強く生きていく著者には敬服する。
私も治療方法のない進行性の病気だが(命を取られる病気ではない)、将来の事を考えると暗くなり、自らの行動を制限したりすることもある。
この著者のようには強くは生きられない。

このような少女が、こんなに強く生きれるものなのか?
すごい人だったということがわかる。
母親も、自分が親だったら、こんなに強く前向きにふるまえるだろうか?と思う。

もうひとつ思ったのは、著者が文学的才能があったということです。
こんな文章、書けそうでなかなか書けないと思う。
生きていれば、作家になったんじゃないかと私は思った。

この本は、ずっと語り継がれなければいけない本だと思った。
言葉すべてが重い。その重さが鋭角に私の心に突き刺さる。 ★★★★★
14歳 私の家族
15歳 忍びよる病魔
16歳 苦悩の始まり
17歳 もう,歌えない
18歳 本当のことを知って
19歳 もうダメかも知れない
20歳 病気に負けたくない
21歳 生命ある限り[木藤潮香]
病と闘い続けた亜也へ[山本¥子]
あとがき[木藤潮香]
追記[木藤潮香]


著者は愛知県生まれ(1962-88年,享年25歳)。星稜中学校卒業後,県立豊橋東高等学校から岡崎養護学校へ転出。本書共編者として木藤潮香がいる。著者の母として,原稿である著者の生原稿(大学ノート46冊)を文字に起こしした。目次を見ればわかるとおり,本書は日付ごとの編成ではない。いわゆる個人日記の書籍化・公開版ではないが,ノリはほぼ今で言うブログ。いわば日々の尺度ではなく,人生尺度のブログ本だろう。本文庫は,著者が存命中の86年に刊行された単行本(エフエー出版)が新たに文庫化されたもの。「2006年現在、発行部数は210万部を突破」(Wiki)。手許のは38刷。本書は英訳(Stuart Varnam-Atkin and Yoko Toyozaki (trans.),IBCパブリッシング,07年)・中国語訳(頼阿幸(訳),88年)もされている。文庫文巻末には,亜也の主治医だった山本¥子(ひろこ,藤田保健衛生大学教授)の回顧が寄稿されている。「追記」では亜也の最期の模様が載せられている。その後この「追記」を拡充する形で,木藤潮香が娘との想い出を綴った単行本『いのちのハードル』(89年,エフエー出版)が出版された。04年には映画化(文部科学省選定映画)。05年(10-12月)には,フジテレビ系列でテレビドラマ化された。


著者は,手足や言葉の自由を徐々に奪われながら最後には体の運動機能を全て喪失してしまう難病(脊髄小脳変性症)と診断される。発病は15歳の時。日記は20歳までだから本書は5年間の人生の記録である。


「私は生まれ変わりました。障害者であっても,知能は健常者と同じつもりでいました。着実に一段ずつ上った階段を,踏み外して下まで転げ落ちた,そんな感じです。先生も友達も,みな健康です。悲しいけど,この差はどうしようもありません。私は東高を去ります。そして,身障者という重い荷物をひとりでしょって生きていきます。こう決断を下すのに,少なくとも1リットルの涙が必要だったし,これからはもっともっといると思います。耐えておくれ,私の涙腺よ! 負けて悔しい花いちもんめ 悔しかったら,やればいいじゃん。負けとったらいかんじゃん」(75-6頁,16歳)。


「卒業式まであと四日。千羽鶴をわたしのために折ってくれているようだった(あくまでも予感)。IさんやGさんたちが,一生懸命折ってくれている姿を瞼の裏に焼きつけておこう。たとえ別れても,決して忘れないために。千羽鶴を折って,私の幸せを願ってくれるのは嬉しい。でも,『亜也ちゃん,行かないで』と言ってほしかった」(86頁,16歳)。


「人はそれぞれ言いしれぬ悩みがある / 過去を思い出すと涙が出てきて困る / 現実があまりにも残酷できびし過ぎて / 夢さえ与えてくれない / 将来を想像すると,また別の涙が流れる」(225頁,20歳)


ほかにもあるが,言葉すべてが重い。著者は私よりも先に生まれているので年上になるが,いまでは私が著者の年齢(25歳)を追い越している。それでも言葉の重さは変わらない。その重さが鋭角に私の心に突き刺さる。自分の生命と家族に感謝しろ,劣る才能ならその劣る才能で,精一杯生きてみろ!と突き刺さる。20歳から25歳までの5年間,書きたいのに書けない,文字盤を用いても十分に自己表現できない状態で,さぞや辛かったろうと思うと,その鋭利な重さは私の心を貫通している。合掌。

(1440字)
あの。 ★★★☆☆
何を感動したのか問いたいです。 私は、生まれたときから障害を持って生まれてきました。障害を当たり前のように受け入れ今を生きています。そして私の大切な友達の中に彼女と同じ病気の人がいます。亡くなられたかたもいました。 確かに最初に読んだときに共感しなかったわけではないです。が、何度も読みたいとは思いません。苦悩が分かりすぎるから辛いのです。あくまで私の個人的意見ですが、今でも少なからず、差別は普通にある出来事なのです。 病気がなおらないことが悲しいとずっと悩んでいる文章が続きすぎて辛いです。また、どうして、動けるうちに時代背景はともかく、もっと外へ出なかったのでしょうか?生まれたときから障害を当たり前のように持つ私から言うと、贅沢言うな。と言いたくなりました。 とりあえず。後ろのほうのお母さんと主治医の手記のリアリティさでほし3つ
キレイゴトじゃない ★★★★★
一人の人間の生と死をここまでリアルに伝える本はあまりないと思います。
この手記の言葉の数々は著者である亜也さんが自分が思った事や感じた事を素直にそのまま綴ったものであり、誰にもぶつけようのない怒りや周囲への不満などが赤裸々に描かれていたりします。
しかし、そんな飾らない正直な想いだからこそ、彼女の苦しみが読む側にも痛いほど伝わってきます。
彼女が綴る言葉はキレイゴトやお涙頂戴ではない、一人のごく普通の少女から見た生と死なのです。
この世に生きるすべての人に読んでもらいたい。
彼女は皆の心の中で生き続けているのです ★★★★★
 中学三年生にして「脊髄小脳変性症」という原因も治療法もわかっていない難病に冒され、25才で短い人生を閉じた女性がつづった日記です。
 かなり心を揺さぶられる本でした。

 1986年に出版されて以来210万部を越すロングセラーを続け、映画やテレビドラマにもなったためご存知の方もとても多いと思います。

 素人の闘病記ということで、最初はあまり期待しなかったのですが、読み出してすぐにあまりの素晴らしさに一気に読み切ってしまいました。

 これは、お涙ちょうだいの悲話でも、前向きに頑張る美談でもありません。
 本来公開するつもりで書いたのではない彼女の日記には、日々病気に向き合う率直な気持ちがつづられています。
 病気が進行し、今まで出来ていたことが出来なくなり、重度の障害者になってゆく自分。
 そんな自分を受け入れられず、頭を打ち付けて悔しがり、怒り、時には友さえも恨むこともあります。
 その一方で感謝や喜びもあり、様々な交錯する思いが綴られていました。

 この本を読んでいて、自分が病気で苦しんでいた頃のことを思い出しました。
 どうしようも出来ない現実を受け入れ、あきらめ、ありのままの自分を認めること。そして、そこから今自分が何を出来るかを考えること。

 改めて、小さなことでも自分が持っていること、出来ることに目を向け、感謝の気持ちを持とうと思いました。

 病気や障害と立ち向かっている人は星の数ほどいます。
 しかし、この作品がこれだけの人々の心を揺り動かすのは、彼女の素直な心と鋭い感性、そして高校生とは思えない卓越した文章表現力のなせるわざなのだと思います。

 本を読んでいると、まるで彼女がすぐそこにいるかのような気持ちになります。
 しかし彼女はもう20年も前に亡くなっているのです。

 でも、こうやって210万人(映画やドラマを入れるとさらに多くの人達)もの人々の心を動かし、彼女は皆の心の中で生き続けているのです。
 すごいことだと思いました。