米軍から見た「バルジの戦い」 (山崎雅弘 戦史ノート 26)
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第二次世界大戦におけるドイツの敗色が濃厚となった一九四四年十二月十六日の早朝、深い霧と雪に覆われたアルデンヌの森で、突如として猛烈な砲声が鳴り響いた。その砲撃開始から一時間後、巨大なケーニヒス・ティーガー重戦車(ティーガーII型)を含むドイツ軍の戦車が木々の奥から出現し、完全に不意を打たれてパニックに陥ったアメリカ兵を蹴散らしながら、ベルギー領内の要港アントワープを目指して西の方角へと突進した。第二次大戦中にドイツ軍が実行した、事実上最後の戦略的大攻勢「ラインの守り作戦」の始まりである。
深い森林に覆われたアルデンヌの米軍支配地域に張り出す形で、巨大な突出部(バルジ)を描いたその戦線形状から、後に「バルジの戦い」と称されることになるこの戦いは、最終的にはアメリカ軍側の勝利に終わった。だが、ヨーロッパに派遣された米軍の将官たちは誰一人として、このドイツ軍の大攻勢実施を予期していなかった。そして、最終的には勝利を収めたとはいえ、「バルジの戦い」の緒戦における米軍の敗北は、軍事組織としてのアメリカ軍の「若さ」を様々な面で露呈した出来事と言えた。
当時も今も、アメリカ軍の伝統的な特徴としてまず挙げられるのは、前線部隊の運用法から、使用する兵器の設計、さらには後方支援組織の整備に至るまでの、総合的な「合理主義」であり、豊富な人的・物的資源を最大限の効率で活用する彼らの方法論は、ヨーロッパでも太平洋でも戦争遂行上の「経験不足」を充分に補う役割を果たしていた。しかしその一方で、一見無駄と思われる箇所を取り除き、型にはまったパターンを多用する「合理主義」は、想定から逸脱した事態に直面した際に有効な対応策を見出せず、彼らの弱点である「若さ」や「経験不足」をさらに深めてしまう危険もはらんでいた。
それではなぜ、戦略的には圧倒的な優位に立っていたはずの米軍が、敵の奇襲攻撃を受けて一時的とはいえ戦局の主導権を敵に握られてしまったのか。そして、第二次大戦の期間中、軍事諜報の分野で数々の実績を挙げてきた米軍情報部は、どのような理由で敵の攻勢計画の探知に失敗し、序盤の敗北で多数の兵士を失い、戦車や火砲などの重装備をスクラップにし、戦場附近に備蓄していた膨大な燃料を灰にする結果となってしまったのだろうか。
本書は、第二次世界大戦末期のヨーロッパ西部戦線で繰り広げられた「バルジの戦い」の顛末を、主に米軍の視点で捉え直し、要点をコンパクトにまとめた記事です。2008年1月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第87号(2008年2月号)の巻頭記事として、B5判17ページで発表されました。現代の組織運営全般にも通じる「合理主義組織の陥りやすい陥穽」について、戦史を通して考える一助としていただければ幸いです。