アルジェリア戦争 (山崎雅弘 戦史ノート)
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1945年5月にヨーロッパ戦域での第二次世界大戦が終了した時、戦勝国フランスはアルジェリア、モロッコ、チュニジア、セネガル、モーリタニアなど、アフリカ大陸の北西部約三分の一を占める広大な領土を、自国の海外植民地として保持していた。しかし、パリのフランス政府は、これらの海外植民地の中でも、北アフリカの大国アルジェリアにだけは、他の植民地とは異なる特殊な地位を与えていた。
フランス本土(約55万平方メートル)の四倍近い約238万平方メートルの国土を持つアルジェリアは、地中海を挟んだ対岸に位置する「フランスの海外県」と規定され、そこに住む人々にも、公式にはフランス国民と同等の権利が付与されていたのである。
実際には、アルジェリア市民の中で「フランス国民と同等の権利」が保障されていたのは、全人口の一割前後にすぎない「コロン」と呼ばれるヨーロッパ系の入植者だけであり、それ以外の先住民(ベルベル人)とアラブ系住民は他の植民地の原住民と同様、抑圧された被支配者としての地位に甘んじていた。そして、長年にわたるフランス統治下で鬱積したアルジェリアの非ヨーロッパ人たちの不満は、第二次大戦後に世界各地で沸き起こった民族自決の潮流に刺激されて一挙に増大し、50年代の中頃には遂に、フランス支配からの脱却を目指す「独立戦争」という形で火を噴くこととなった。
だが、アルジェリアの独立を目指す非ヨーロッパ人の前に立ち塞がったのは、同じアルジェリア人であるはずの「コロン」勢力だった。フランス本国から遠く離れた一植民地戦争として行われたインドシナ戦争とは異なり、フランスの「海外県」を舞台に発生したアルジェリアの独立戦争は、いわば「フランスの準内戦」とも呼べる戦いだったのである。
本書は、長らくフランスの海外県(事実上の植民地)であったアルジェリアの独立戦争とその前史を、コンパクトにまとめた記事です。2004年3月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第64号(2004年4月号)の記事として、B5判13ページで発表されました。2013年1月にイスラム過激派勢力による日本人人質殺害事件が発生した、アルジェリアの知られざる歴史を知る一助となれば幸いです。