例えば日本水産編。戦前、船舶は海軍予備兵力と見られた同社の場合、終戦で残ったのは老朽船ばかりの74隻で、トン数でいって戦前の14%だったしかも、海外漁場と在外資産を一気に失い、集中排除法の指定会社ともなった。しかし昭和27年、日水戸畑工場はフィッシュ・ソーセージの試作に成功。大量にソーセージをつくった後にあまる尾、骨、頭は肥料となる。それらがおろされた養豚、養鶏場はやがて系列化される。「鶏のメスは卵をうむ。卵の黄身からマヨネーズを生産するということになる。白身はソーセージの原料にいれる。鶏のオスはブロイラーとなる。冷凍作業はお手のものである。ブロイラーは骨抜きである。その骨をどうするか。スープをつくるのである。スープがチキン・ラーメンの味つけ原料となる。かくしてインスタント・ラーメンの大量生産という現象に到達するのである」あたりの呼吸は名人芸(pp.108-109)。
ヤマハは戦時中にプロペラを生産したが、それによって精密工場としての技術が進歩し「木材がピアノに、金属がヤマハ発動機のオートバイにわかれていった」(p.169)など情報としても面白い。