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哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,260
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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疑問 ★★★☆☆
本書の最大の特徴は、時期によって大きく変わると言われるフッサールの思想を、前期から晩期にかけて、主要な著作を渉猟し、その底辺にある現象学のモチーフを取り出そうとしていることだと思う。そういう本はなかなか無くて、ついつい、前期は〜、中期は〜、後期は〜と、分けて論じ、しかも、変に要約すると、現象学特有の叙述の中の思考が消え去るので、引用に継ぐ引用を行うと言うのが、通常の現象学の解説書だ。だが、そんなことでは、「間違い」はしないかもしれないが、「掴み」が弱くて霞んだような印象しか残らないだろう。本書は、そういう意味では、なかなか、真正面から取り組んでいる点が良い。でも、分かりやすく解説しようとする余り、なにやら、非常に常識的な話に落ち着いては居ないだろうか?根本的に確かめ、その限りなく確からしいところを共有しよう、というモチーフは別に嘘偽りではないが、そんなことで落ち着かせて良いのだろうか。そんなことならなぜ現象学なのか、他の哲学は、そんなことにも気を配らない身勝手で、雑なものなのか、自然科学とはそんなことも配慮できない一方的なものなのか、そうではあるまい。分かりやすく纏めた故に余りにも多くの重要で難解で怪しげな現象学の展開をこぼれ落してしまっていると思う。そういう非常に問題なところを払拭し、ただ分かりやすい、という印象を読者に与えてしまうのは、やはり間違いの一種だと思う。「論理学研究」や「イデーン」を読まずに本書を読んだ人には、通じにくい話だが、フッサールの原書に当たると、とてもこんな要約では意味をなさないほど広汎且つ微細な議論となっている。本書の著者自体が、フッサールが思い描いた「学」「厳密な学」のイメージが十分でないところも、纏めすぎた結果、なにやら学級会で分かり合おうよ、みたいなニュアンスになっている原因だと思う。そして間主観性の議論、生活世界の議論自体フッサールの中では後期のものでアイデア以上の構成はもっていなかったわけで、そこに現象学の可能性を読んでしまう点も本書の引っかかる点だ。ところで、似て非なるものに竹田青嗣の「現象学入門」がある。あれも本書と同じ良くない点を持ているが、徹底した独我論でいいのだ、という独自の主張で現象学を最初に開示して見せた視点はユニークだったと思う。
文句なしの名著 ★★★★★
「哲学的思考」、そのタイトルからにじみ出ているように非常に野心的な著である。フッサール現象学をこれほどまでに明晰な論理で描き出した著は見たことがない。歴史に残る名著だ。
深く考える為の本 ★★★★★
世界の成り立ちを最も深い地点から考え直すのに最良の本ではないかと思います。

現在、生きている政治家、科学者、教育家等、この本を筆頭にフッサールの現象学をもっと真剣に読み直す必要があると思います。

そして、ありとあらゆる対立の妥協点を導く為に議論し直してほしい。

でも、そんなことは無理な話かもしれませんが。
諸学の危機を克服する哲学 ★★★★☆
竹田青嗣とのタッグでフッサールの普及に努めているといった風な著者のスタンスは、サービス精神旺盛で大変わかりやすい文体、文章、用語の使用に顕著である。とにかく、現代思想の祖の一人フッサールの哲学がこれほどわかりやすく解説されたことは、かつてなかったといっていいだろう。これは本当に正しいのだろうかとほとんど疑ってしまうほど明快である。価値観の闘争の場である人間の思想的領野、その闘争をいかに非暴力的に調整し共存への道を追究出来るか。この誠にあらゆる知に求められて然るべき課題をフッサールは止揚、抽出している気にさせられる。ヨーロッパ諸学の危機、歴史の危機、人間の危機。相対主義に陥らずこれらのアポリアは克服されるのか。しかしなぜか気が気でない。
思想入門としては大変良質なものだと思う。
マーケティングまがいの経済学、トレンド分析とレッテル貼りによる人心のビルトイン・スタビライザーのごとき社会学や多くのカルスタ、心やネットやトラウマやの「闇」を騙るオカルト派精神分析、さらには詐欺師同然、占い強盗のごときスピリチュアルカウンセラー。金亡者の「すごい」人たち、臆面なき経済主義による万人狼の時代・・・。
いやはや有象無象、百鬼夜行の世の中である。われわれは理解しあえるのか、それがこの本の肝にもなっている。あらゆる学や知は、まず思考そのものへ還る事が必要だとは思わせる。
正直に言うと「ひどい出来」 ★☆☆☆☆
この本は現象学の核心には触れていない。
・内容の80%くらいが他の哲学者、哲学史であり、無駄。
・他の哲学者と哲学史とフッサールとの関係も結局は不明。
・文章の論理的な繋がりが希薄で非常に読みづらい。
・哲学史の個所でも事実ではない著者の評価や感想をさも事実であるかのように断定して書いている。
・なぜxxxはtttなのでしょうか?という形で議論が進められるが、xxxはtttであるという個所の論証はない。
・「ではフッサールは何を言っていたのでしょう。その前に僕の考えは」といってなぜか著者の考えを読まされる。

はっきり言うと、著者には哲学的センスはないです。
「非哲学的思考 フッサール現象学の周辺」 とでもすべきでしょう。
題名と内容が正反対。典型的な悪い哲学書の見本です。