アフガンのイスラム諸勢力は80年代、ソ連軍とゲリラ闘争を展開し、92年、政権を掌握した。しかし内紛で分裂し、「タリバン」に駆逐された。本来、イスラム主義を代表すべき諸勢力が腐敗堕落したため、その思想的真空状態を「タリバン」が埋めたと著者は言う。最初は、長い戦乱に嫌気がさした人々の支持もあったが、急速に幻想へと変わった。
イスラム革命センターを標榜する鬼っ子の「タリバン」の存在を許したのは国際社会でもある。アメリカは当初、イランへの牽制から「タリバン」の人権抑圧を黙認した。同じイスラム教スンニ派のパキスタン、サウジアラビアも「タリバン」を外交的カードとみて支援した。一方、シーア派のイランはロシア、中央アジア諸国とともに「タリバン」の力を削ぐべく動いている。アフガンが、中央アジアからの原油パイプラインのルートにあることも、各国の思惑を複雑に絡ませている。イスラム思想の系譜にまで踏み込んで、政治、経済、宗教、社会の多角的側面から一宗教勢力に光を当てた好著である。(西川 恵)
複雑に絡みあった歴史、民族、政治、宗教、経済、国際関係が明解に分析されていたが、とても複雑なので頭を整理しながら、かみしめるように読み進んだ。
中でも涙がこぼれそうになったアフガニスタンの女性と子どもたちの生活について語ろうと思う。
アフガン女性、社会の窮状はタリバン登場前のアフガン戦争時代から始まっており、医療不足、学校破壊が破壊されたことにより文盲は増加している。戦争中は国際的な関心・援助を受けることができたが、戦後の今満足な援助は得られていない。絶望の最中のあるアフガン女性は次のように語った。「わたしたちは生きるために、国連に頼る乞食となってしまいました。これはアフガン人の生き方ではありません。女性たちは疲れ果て、意気消沈し、荒廃しています。わたしたちは、ただ平和を待っています。一日中平和を待っています」アフガン人としてのプライドも傷つけられ、今日1日を生き延びることしか考えることができず、最後に希望を持ったのはいつか忘れてしまったかのようである。子供たちもまた、大人同士が殺しあうのを見てきたし、あまりに緊張が強すぎる環境にいたため、子どもたち同士でさえ互いに信用することができなくなっているのだ。
そんな彼らに1日でも早く平和をもたらせることはできないだろうか。