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インドの「多元論哲学」を読む―プラシャスタパーダ『パダールタダルマ・サングラハ』 (シリーズ・インド哲学への招待)

価格: ¥2,625
カテゴリ: 単行本
ブランド: 春秋社
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用語の定義を確認することを忘れずに ★★★★★
本書を読む場合は、『インド哲学の教室』を併読する方が良い。なぜなら、後者のp.84で、“ヴァイシェーシカ哲学では、「存在」と「実在するもの」とを区別するんですね。つまり、ドラえもんのタケコプターはこの世に存在しないけれども、フィクションとして実在する、という風に考えるのです。”と述べている。
一方、吉田洋一氏は著書『零の発見』で、“点と線が存在しなければ、数学は成立しない。点と線の概念がなければ、数学は成立しない。したがって点と線は、数学の概念として存在するが、実在しない。…中略…ゼロは、数学の概念として存在するだけで、実在しない。しかし、ゼロの概念を認めなければ、数学が成立しない。したがって、神は存在するが、実在しない。”と述べている。
このように用語の用い方が、インド哲学と世間の常識とで逆になっていると思われるからである。

私はブッダ釈尊の『十二支縁起』で説かれる「名色」の解説がずーっと疑問であった。一般的には、色を物質現象(肉体)、名を精神現象(心)とする。さらに、名を四蘊(受・想・行・識)とする解説もあるが、行と識は十二支縁起の中ですでに用いられており、単純に四蘊とするのは困難である。本書を読んで、多元論哲学の見方こそが「名」に相当するのでは?と感じた次第である。前二世紀の半ばに完成した「多元論哲学」は釈尊の時代でも無視できない考え方だったのではないだろうか?