インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

インドの「二元論哲学」を読む―イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』 (シリーズ・インド哲学への招待)

価格: ¥2,625
カテゴリ: 単行本
ブランド: 春秋社
Amazon.co.jpで確認
サンキヤ哲学に誤解を与える。 ★★☆☆☆
サンキヤ哲学自体が、VEDA〜ウパニシャッド聖典群の宗教性を排除した考えとも言え、この哲学をベースにしたインドの伝統医学『アーユルヴェーダ』、実践哲学『Yoga哲学』からもみてとれるように、非物質的なプルシャと、物質的なプラクリティーから、様々な物に展開する哲学と考えられないか。
ヴェーダンタのシャンカラチャリヤが批判したとおり、この哲学は哲学的、もしくは宗教的に解釈すると理解出来ないと思われる。
言葉の連想ゲーム ★★★☆☆
既刊の『インド人の考えたこと』で著者は、“サーンキャ哲学は、精神原理である自己をアートマンの代わりにプルシャとし、非精神原理である原質をプラクリティとする二元論哲学である。”(p.132)と述べ、“「プルシャ」は「男」を意味し、「プラクリティ」は「女」を意味することから、サーンキャ学派の二元論は、遠い昔からあった生殖信仰が元になっているのではないかと考えられる。”(p.156)と述べている。この指摘と関係するような本書の“原因は特定の結果を生ずる力能(シャクティ)を有する。『サーンキヤ・カーリカー』が著された4世紀末〜5世紀がインド哲学界のシャクティ(力能)時代であり、宗教界のシャクティ(性力)時代は7世紀から始まる。何か影響関係があるのではないかと思う。”(p.41)という記述は興味深い。

本書は著者の解説がなければ、途中で放棄したであろうほど、無意味と思われる言葉の羅列が続く。ただ、微細身だけは遺伝子を意味しているようでもあり、唯識仏教の阿頼耶識の種子を意味しているように思えたのは予想外であった。しかし、二元論の目標でもある解脱が仏教と類似した結論に到達しているのは、文化の主流に逆らえないためなのか、と感じた。