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フッサール 起源への哲学 (講談社選書メチエ)

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:斎藤慶典/著 出版社名:講談社 シリーズ名:講談社選書メチエ 240 発行年月:2002年05月 関連キーワード:フツサ-ル キゲン エノ テツガク コウダンシヤ センシヨ メチエ 240 ふつさ-る きげん えの てつがく こうだんしや せんしよ めちえ 240、 コウダンシヤ コウダンシヤ 2253 こうだんしや こうだんしや 2253、 コウダンシヤ コウダンシヤ 2253 こうだんしや こうだんしや 2253 「世界が現象する」とはどういうことなのか。フッサールの問題系に気鋭の哲学者が挑む。驚きに満ちた「現象学」解説の、そしてフッサール解体の試み。 第1章 たび重なる「転回」-数学から超越論哲学へ第2章 事象そのものへ-「現象」への還元第3章 記号と意味-「現象」の内実第4章 身体と私-「現象」の媒体第5章 世界-「現象」の場所第6章 時間と他なるもの-「現象」の外部へ
現実の作られ方 ★★★★★
フッサールが垣間見た前人未踏の地平とは何だったのか。
「超越論的主観性」という概念を「主観」ないし「自我」という側面から見る限り、現象学はやっぱり単なる主観主義にしか見えない。
だが、著者も言うように「超越論的主観性」とは一個人の主観のことではなく、この世界、この現実、さらに言えばこの私さえもそこにおいて構成される「場」のごとき地平である。
現象学という哲学が可能にしたのはこの構成される場所=世界が現象する起源を問うこと、つまり一つの現実の作られ方であった。
それではその起源とはいったい何なのか。
彼方へ向けてきらめきながら飛翔していく本書はまさに感動的。
危険だ!注意せよ! ★★★★★
 非常に問題含みの本です。間違ったことは言ってないにせよ、フッサールの思想なのか斎藤さんの考えなのか、気をつけないとわかんなくなる。いや、優れた書物はすべからくそういうところがあるのは充分承知なのだけど、斎藤さん個性強すぎるねw。

 ええと、書くことがなくなったので一番ガツンと来た部分を引用します。

≪そして「私」とは、(…)「不在における現前」の能力である「想像力」がそこに根を下ろし、「現象すること」がそこにおいて可能になる場所のことである。これはすなわち、想像力とは私の能力のことではないということである。なぜなら、想像力という「不在における現前」の能力が根づくその場所においてはじめて、「私」という自己同一的なものがみずからに対して現象することが叡?能となったからである。(…)この意味でいわば想像力の方が私を所有しているのである≫

おもしろい! ★★★★★
いやもうおもしろかった!
そして説明がめちゃくちゃ丁寧だった。
(分かってる人にとってはクドイくらいかもしれないが)

フッサールをこれから読もうとしてる人には是非勧めたい。
「現象」とはなにか、フッサールが頭を悩ませ、
紆余曲折の思想の道を歩み続けた問いとは何か。
ハイデッガーの「時間」や、メルロ=ポンティの「身体」

といった発見をまじえつつ?世界が現象するということに
まつわる問いをじわじわと、時に笑みをこぼしながら深めて行きます。