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新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

価格: ¥660
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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天下に大志あり。 ★★★★★

司馬氏のひとつの傾向として、自分が特に親近感を持っている人物に対して少し回りくどい描き方をされるように思います。おそらく、「照れ」の一種なのだと思うのですが、本作第一巻でも20歳そこそこで一番家老を継ぎ、老成して同僚を馬鹿にしている、とされながらも播州の片田舎で天下を夢想する官兵衛の、心情や才能、性質そのもの直接指摘する描写を避けて、淡々と物語が進みます。
品の良い田舎紳士で終わるには切れすぎる頭と、人を裏切って世に出るには躾の良すぎる性格。そんな官兵衛が幕臣・和田惟政との接触や政治情報を求めて官兵衛が南蛮寺に足繁く通う場面などは、地方の素封家の若旦那が知的刺激を求めて活動家と交流しているような感じで、司馬氏が新聞記者出身だからなのか史実なのか、往年に一世を風靡したマルクス主義のような印象を受けました。

眼目は幕臣和田惟政、細川藤孝との交流です。本作での官兵衛は細川藤孝を高く買っていますが、和田惟政の方に好意を持っています。細川藤孝の都会的な知性と処世術に、知謀に長けていても人の好さの抜けない若き日の官兵衛は「喰えない人物」として、羨望と警戒心を持ち、和田惟政の一本気な単純さを危ぶみつつも、爽やかな男気に好感を持つ訳です。この辺りは司馬氏の創作かと存じますが、個人的に、細川藤孝と黒田官兵衛は合わなさそうな感じがしていたので面白かったです。また、信長と義昭の不和にあたっての和田・細川両人の身の処し方も印象的でした。義昭追放に殉じた惟政と自然に織田傘下に組み込まれた藤孝。惟政の訃報を聞いて姫路で神に祈る官兵衛の描写は、一夫一妻云々よりもずっと官兵衛の切支丹信仰を感じました。(逆に言うと官兵衛の切支丹ぶりは、普段は「信仰」というほどでもなく、新しい思想に「かぶれた」の域を出ない感じに書いてある)

世情に疎い播州で唯一人憑かれたように織田氏に肩入れし、「官兵衛狂ったか?」と云われていたり、わたしの持っていたまさに水のごとしの、飄々たる黒田如水よりずっと可愛いところがあり、司馬版官兵衛は賢い割には「かぶれやすい」純粋で情熱的な人だなと思いました。
采配を筆として ★★★★☆
黒田勘兵衛はアーティストなのかなと思った。

戦国時代をキャンパスにした、画家。

題材に自分が登場しないからこそ、事物を客観視して描くこともできたし、
秀吉というテーマを描くことに専念することができた。

自分が望む題材で書くことができなくなってからは筆を折り、
しかし後年、描くことへの欲求から、新たな「自画像」という題材へも踏み出した。

新たな挑戦は夭折してしまったが、彼の描いた鮮やかな片鱗は、
歴史に「if」を求める我々には非常に魅力的な下絵に見えてしまう。

最後の作品を描ききらずに捨ててしまった彼だが、
我々がその作品の完成形を求めてやまないこの下絵こそ、
ある意味で完成している作品であるといえるのかもしれない。
どこかしらあきらめること ★★★★★
黒田官兵衛は生涯を通じて秀吉の軍師として活躍したのかと思いきや、(本書によれば)意外と中国征伐くらいまでなんですね(従って山崎の合戦以降は影が薄い)。秀吉をして、自分以外に天下を取るなら官兵衛、と言わしめた戦国一級の人物はその短い活躍期間で十分にその能力を世に知らしめた、ということなのかなと思います。

黒田官兵衛という人は竹中半兵衛、豊臣秀吉、織田信長といった歴史の群像の中でその人物像をくっきりと描かれているような気がします。大きなビジョンを持ち、そのビジョンのためには暴力的な方法論もいとわない信長(後年の信長に対し司馬氏は批判的にも思える)、ビジョンは信長のものを受け継いだだけのものながら、抜群の戦略眼と人間操作術、野心、そしてそうしたものを嫌味なものと受け取らせない天性のキャラクターを持つ秀吉。一方、戦略眼においては秀吉をしのぐ官兵衛と半兵衛。しかしどこか俗人的なものを残す官兵衛に対して、求道者のように自分の能力のみを試そうとし、そのことだけに執着する半兵衛。

あとがきで司馬氏は友人に持つなら官兵衛、と評していますが、秀吉ほど野心的でも策略的でもなく、半兵衛ほどストイックでもない、能力を持ちながらどこかしらあきらめることを意識、「きたなし」を嫌ってほどほどに生きたその人物像に、爽やかさと共感を覚えるのは(当然ながら)私だけではないでしょう。
官兵衛の生涯の後半は? ★★★★☆
播磨育ちの私としては、とても面白く読めた。
しかしながら、本書では、官兵衛の人生の後半が、はしょられている。
これは残念だ。

播磨灘というタイトル通り、官兵衛の生まれ故郷の播磨に関することだけでももちろんいいのだが、できれば、九州での活躍や、息子に対する親としての官兵衛の生き方など、山崎の合戦以降の彼の生き方も描いてほしかった。そうすれば、もっと面白い小説になったような気がする。
歌を詠むのが好きなタイプの男が戦国の世にどう生きるか ★★★★☆
権力や天下取りへの欲のない、どちらかといえば歌でも詠むのが好きなような男が、戦国の世をいかに生きたのか、という興味で読み始めた。大志を持った大人物とかもいいけれど、こういう黒田官兵衛のような男の方が親近感が沸くのである。
毛利、武田、上杉などと比べると弱小と思われていた織田信長にいち早く目をつける如才の無さとか、「新しい」人物像の提示も興味深い。
あと個人的には小学生の頃にすごした姫路あたりが舞台のひとつになっているのが嬉しい。広峰小学校に通っていた私は、何度か広峰山に徒歩で登ったし、家族と書写山に車で行ったりもした。当時はごくありふれた情景の一つに過ぎなかったものが、実は歴史的に意義深いものであると知り、興奮させられるのである。
仕事の関係で縁が出来た滋賀県にも親しみを感じていたので、黒田家の祖先の出であるといわれている琵琶湖北東の黒田村あたりを司馬遼太郎が散策するという冒頭のくだりも興味深い。
司馬遼太郎作品をきっちりと読むのは実は今回が初めてなのだが、文章の半分くらいが司馬遼太郎本人の紀行エッセイだったりご自身の感想文だったりで、所謂「小説」とはかなり違ったものであるという印象を持った。かなり革命的な小説なのではないだろうか?
司馬遼太郎ファンの皆様からすれば何をいまさらというところでしょうけど。