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新聞消滅大国アメリカ (幻冬舎新書)

価格: ¥798
カテゴリ: 新書
ブランド: 幻冬舎
Amazon.co.jpで確認
まとめ本としてはよい ★★★☆☆
NHKの報道局員によるドキュメント。元はクローズアップ現代の取材によるもの。
NYタイムズ、サンフランシスコ・クロニクルの苦境を筆頭に、地方紙の再編、ネットニュース、ソーシャルメディアの台頭へと続いていく。
大リストラの中で新聞を維持する手段として、大手までがNPO記者組織や大学に記事をアウトソースせざるを得ないのが実情だという。

ネットへの収益移行も、10年を超える試行錯誤の結果、未だに確実なビジネスモデルが見出せていない。
競合紙に無料モデルがある限りジレンマは続く。
日本は購読による収益を重視しているものの、新聞離れは確実に進んでいる、というところで終わる。

データや取材先のコメントもあっていいのだが、テーマが広範囲に及ぶので少々浅い感じがした。
特に、第四章 新聞にとってかわるメディアはなにか、第六章 日本の新聞はどうなるのか
は、ストーリーとしては読む前からだいたい想像できる。そのぶんジャーナリズムの維持や、広告モデルの話を濃くしてほしかった。
元の番組は見ていないが、3以上4未満というところ。
焼き増しの内容が多すぎる ★★☆☆☆
メディアの経営危機をここ数年調べていますが、この内容は1年前位に雑誌でかかれていた内容、しかもNHKとすら被っています。総合すると同レベルの内容で3年くらい遅れてますね。新聞の衰退を紙媒体や若者のせいにしますが、本当の理由はこのレスポンスの遅さでしょう。あとイケないのは手の打ちようがないのに、確信犯的に楽観論を入れていく事です。 それに限らず、大きい声を出せばバレないという単細胞な思考からまず治すべきでしょう。あくまで治せればですが、、
「ここまで危機的状況だったのか」が理解できる本 ★★★★★
 最近、新聞の危機に関してさまざまな議論があり、本もたくさん出ている。私は、何冊かそれらの本を読んだ上で本書を読んだが、この本が一番参考になった。

 私は、まず「過去に何度も政府と対決し、民主主義を支えてきたアメリカの新聞ジャーナリズムがここまで危機に瀕しているのか」ということに、衝撃を受けた。それも地方紙レベルではなく、クオリティ・ペーパーであるニューヨーク・タイムズでさえも危機的状況であるという。そして、上位紙であったサンフランシスコ・クロニクルも廃刊寸前というような、あまりの惨状に驚いてしまう。
 本書は、単に新聞の危機を描写するだけでなく、インターネットの様々なサービスが存在する中で、新聞が新たなビジネスモデルを懸命に模索しつつある(そしてそれがうまくいっていない)現状を教えてくれる。

 日本では、アメリカに比べて少数の新聞(主に読まれているのはいわゆる5大紙)が大発行部数を誇っているだけに、その1社、2社が経営破たんしただけで言論の多様性が大きく損なわれると思います。それだけに、本書を読んで、私は日本の報道や言論の自由の今後について、さまざまに考えさせられました。
 とてもバランスのとれた有益な本です。お勧めします。
日本の新聞は、ネットに取って代わられてもいいんじゃない、とも逆説的に考えてしまう。 ★★★★☆
 発行部数の減少・廃刊が進むアメリカの新聞業界。
 これは米だけの問題だけではなく、日本や先進各国に当てはまり、いずれは今部数を伸ばす新興国についても当てはまってくる問題である。

 新聞は、権力の監視役・社会の木鐸として身近なメディアで、ジェファーソン第3代大統領ですら「新聞のない政府をとるか、政府のない新聞を取るか。どちらかと言われれば、躊躇なく後者を選択する。但し全ての人が新聞を手に取って読める事が条件である。」と言った、健全な社会・政府を維持する装置だ。
 オンブスパーソンやNGO等もその類例ではあるものの、情報量や活動資金、広く読ませる能力を考えるとやはり新聞にはかなわない。

 本書は、そんな新聞経営者が「広告収入を期待できる時代ではない。 毎朝自宅のドアまで配送される製品の価格を、消費者に負担してもらうしかない 。」と言わざるを得ない状態となっている現状や、優良・無料ネット報道、NGO化、「どこの歩道に割れ目があるか、どこの交差点がどう危ないか」までも細かく報道する超地域密着紙、大手新聞が行わない長期取材の調査報道等について、新書ながら幅広く取材されている。

 新聞が他の業種と異なるのは、どこから資金を得て運営がなされているのかが問われる点。
 資金援助を受けている企業や団体を、批判するような記事は書けるのか?が常に問題視される。

 そんな心配が不要な日本では、広告なのか記事なのかをあえて分かりにくくした広告が、5大紙に堂々と載るし、世界のもまれな記者クラブ制度というメディアの囲い込みで、基本的に行政から垂れ流された情報を、記事として発信し続けている。
 おまけにタブーだらけとくれば、TV番組面以外に新聞の意義はあるのかと問いたくなるが、米ではまだ健全な大手メディアが残っており、それを無くさぬ手立てはないものかと、考えさせられた。 
新聞だけの問題にあらず ★★★★☆
 本書はNHKのディレクターによって書かれた、
アメリカでの新聞崩壊の経過である。

 ネットの普及による衝撃波は、
新聞に限らず、雑誌、テレビを直撃しつつある。

 これは広告出稿の変化によるところが大きい。
ネット広告の料金は、新聞の10分の1でしかない。
安いうえに、広告対象を絞ることができ、効果も検証しやすい。

 さらに有料の情報からは客が逃げ、
無料で手に入るネットへ流れていく。

 売上の8割を広告に頼るアメリカの新聞が、
どんどん消滅しているのも無理はない。
 しかし、それに代わるジャーナリズムのモデルがない。
これは問題ではある。

 一方、日本の新聞は、売上に占める広告の割合が3割に過ぎないという。
しかし著者は指摘しないが、
販売店にとっては折り込み広告の減少は経営に関わる問題だ。
 日本の新聞を支えるのは、圧倒的な宅配率の高さ(94.6%)だ。
それを担っている販売店が崩壊すれば、新聞社も道連れである。

 本書を読む限りでは、日本はまだまだのように思えるが、
すでに朝日や毎日も2009年には赤字転落している。
(本書では2008年までの数字で黒字)

 そして、これは広告の減少が大きな原因である以上、
テレビや雑誌も無縁ではない。
 雑誌は既に廃刊が相次いでいるし、
テレビ局の予算減少はよく知られている。

 新聞とテレビという、ジャーナリズムを担ってきたメディアが、
ビジネスモデルの崩壊という危機にある中、
本書では、著者も新しいモデルを見出すことはできなかった。