源平合戦の緒戦「一の谷」、奇襲,鵯越・・・・・!!
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朝日将軍義仲を宇治川に敗り、粟田口に討ち取った九郎義経。
都を落ちのび、遠く大宰府から瀬戸内を漂い讃岐の屋島に
安徳帝の行宮を置き、捲土重来を期す平家一門。
挽回の兆しの見えた平家方は対岸の一の谷に京への前線基地を設け、
必勝を期して、源氏方との決戦を待ち受けます。
生田口・夢野口・一の谷には、知盛を中心とした公達輩。
兵力は源氏方の義経・範頼連合軍に比して十分優勢でした。
少ない兵力を機動力で九郎義経はカバーし、最大限の成果を挙げます。
世に名高い「鵯越の逆落とし」です。東西の平家の戦線を分断し、
甲冑武者の騎兵団による密集戦法は、何より平家方に相当の恐怖感を
与えたことでしょう。
平家方は双方和議の院宣に幾分鎧の紐を緩くした事も敗因のひとつでした。
この戦いで、忠渡、経盛の3人の男子と・・・・名だたる公達が戦死します。
ことに敦盛と熊谷直実のくだりは凱歌の下の勝者の哀情、惻々として
身に迫るのを禁じえません。精妙な実に美しい描写です。
生田口で生け捕られた重衡卿は身柄を鎌倉に移され余生幾ばく。
白拍子・千手との交情や旧臣友時の誠意・・・・・・。
諸行無常の点景がここにもありました。
元は三種の神器奪還を主眼とした宣旨でした。しかし奪還は果たせなかった
源氏方、ひと足先に源範頼に平家追討の院宣が下り、物語もいよいよ大詰。
佳境に入るところです。