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生命の意味論

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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「超システム」としての人間を考える科学エッセー ★★★★★

 著者の多田富雄氏は、前著『免疫の意味論』(青土社,1993年)において、免疫学的な「自己」と「非自己」などについて、「超(スーパー)システム」という切り口をも援用しつつ、人間に関する多くの知見を、エッセー風にまとめて私たちに提示してくれた。免疫学や分子生物学など、私は全く門外漢であったが、それなりに興味深く読むことが出来た。

 当書は、前著の論点と重複する箇所も見受けられるが、特に、著者が強調する免疫系における「超システム」の概念をより普遍化すべく努めているとともに、人間社会(都市、企業、官僚制等)に対する考察にまで外延化を図っている。だが、「超システム」を社会科学の分析ツールとするには、さらに深化が必要かな、というのが私の率直な感想だ。

 それはともかく、本書第5章「性とはなにか」を読むと、かつて、サルトルの連れ合いであるシモーヌ・ド・ボーヴォワールが「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」(『第二の性』,1949年)と闡明したのだが、性の決定に関する研究が進んだ現代においては、「人は男に生まれるのではない。男になるのだ」と言い改めなければならないだろう(笑)。

 というのも、「男は女を加工することによって、ようやくのことに作り出された作品である」(P.116)らしい。そして、著者の「女は『存在』だが、男は『現象』に過ぎない」(同)という推断は、言い得て妙、蓋し名言である。こうなると、我々“オトコ”にとっては立つ瀬が無いのだけれども、しかし、文明論的あるいはジェンダー論的には大きな意味があるように窺える。
刺激的 ★★★★★
「免疫の意味論」でも少し触れられていたスーパーシステムの話にフォーカスしている.造物主としてのDNAに規定された生命という考え方から,もっと複雑で不確定なスーパーシステムによって運営される生命という考え方を引き出している第二章は刺激的.が,各章で述べられている各論がどうスーパーシステムに結びつくのかの説明はさほど多くない.各論としては,アポトーシス,サイトカイン・ネットワーク,老化などの話題が興味深い.
今後の展開に期待です ★★★★☆
世界的な免疫学者である多田富雄氏が持論である超(スーパー)システムについて展開を試みています。

超システムの根源は、生命の発生から免疫システム、脳、神経の発達そして維持のように、単なる自己複製から始まって自己多様化・自己組織化・自己適応・閉鎖性と開放性・自己言及・自己決定という特徴をもちつつ、その存在自体が自己目的化し機能するシステムを示しています。
それを今回は、社会的・文化的な存在(例えば都市や官僚システム等)になで概念的に広げていこうとしている意欲作です。

ただ、本人が超システムという考えを持つに至った自身の専門領域の成果を説明することにページを費やしているのに対し、超システムの概念を広げて語る部分が少なくは感じました。それと、ちょっと消化不良な感じもしました。(ちなみにその免疫や発生の研究成果を読むだけでも相当面白かったですが…)

超システムという概念自体は非常に面白い概念だと思います。また、今後の研究の成果次第では、発生から自己複製〜自己決定までを含む存在(社会的・文化的なものも含む)は全て超システムの概念の中で語られるようになる可能性も感じさせてくれます。

そういう意味では今後も論の充実を図り、発言を続けていって欲しい考え方だと思います。

でも、やっぱり個人的には免疫や発生に関する話題の方が面白かったですね。
人工生命などはほとんど論外である。 ★★★★★
私たちは近い将来に、人間に取って代われる力を持った人工的な生命体。いわゆる「ロボット」が誕生するのではないかという、漠然とした期待と恐怖の混在する時代に生きている。この書物は意識という現象が、現在の人間の科学と技術をはるかに越えた「超システム」であることを教えてくれる。「ロボット人間」が、遠い未来の夢物語であることを、説得力を持って説明してくれている。生命の「技法」は、工学的機械の限界をはるかに凌駕している。人類には、考える時間が充分にあるのだ。安心立命を与えてくれる名著である。
細胞から社会まで ★★★★★
私には科学の知識なんて全然ないのですが、わかりやすいのですらすら読むことができました。普段科学に興味のない方にも是非読んでいただきたい一冊です。世の中の見え方が変わりますよ。